1度退職し再入社されたとのことですが、その経緯をお教えください。まず略歴からお願いします。
高校時代にプログラミングにハマりまして、卒業後はプログラマーになりたいと就職先を探したのですが、ままなりませんでした。 そして、鉄工メーカーに縁があって入社し、メカニックエンジニアとして有名アミューズメント施設のアトラクションのメンテナンスに携わりました。それを7年続けたところで、趣味として続けていたプログラミングを仕事にしたいと思い直したのです。 求人サイトで探して、当社の情報に目が止まりました。社長の菅澤が同い歳だったからです。自分と同じ歳で社長をしているヤツってどんな人なんだろう、会ってみたいって、単純に思いました(笑)。 菅澤はフランクに接してくれて、この会社なら仕事しやすそうと思いましたね。
入社後はどんな状況だったのでしょうか?
入社した2007年は創業3年目で、当時社員は8人ぐらいでした。 私はフィーチャーホンの公式サイトの開発を任されました。たまに負荷に感じるほど個人に任される裁量は大きく、仕事は面白かったですね。 そして2年ぐらい経った頃、スマホのアプリが流行り出し「これしかない!」と。自分もObjective-Cを使って何かゲームをつくりたいと思い始めたのです。そして、帰宅後や休日に趣味的につくり始めました。すると、ちゃんとつくれたので、「これを自分でApp Storeにアップすればいけるんじゃないか?」と思い上がって退職してしまったのです。 当社が嫌になったわけでは全くなく、ただアプリをつくる自由な時間が欲しかっただけです。独立とか起業とかいうところまで踏み込んでは考えず、もしダメでもその時どうするか考えればいいと、今思えば楽観していましたね。
フリーの時代はいかがだったのでしょうか?
自分で全部やろうと思い、数カ月は夢中で走れたと思います。 しかし、企画やデザインという不慣れな面で「どうしよう?」と詰まることが多くなり、自分一人では思うように進められない状況に直面したのです。生活もあるし、このままではマズいとフリーランスのエージェントに登録して、iOSでアプリを開発する仕事を紹介してもらいました。その仕事も面白かったのですが、そのうちにまた燃えてきて(笑)、契約延長を断り、1年間と時間を定めて自分のアプリ開発に集中することにしたのです。そして2本完成させましたが、売れませんでした。仕掛かり中のアプリも何本かありましたが、これ以上自分一人で進めるのは難しいと判断し、ふと菅澤に電話をしたのです。
再入社を決めた理由をお教えください。
菅澤と飲みながら話をしている時、ブレイブソフトの社内で皆といろいろ話しながら楽しく開発しているシーンが浮かんできたのです。自分一人の間は、詰まっても相談する相手がいない孤独感を味わいました。ブレイブソフトの柔軟でフランクな雰囲気、やりたいことがやりやすい風土は、退職後に垣間見た他社にはなかったなと。そして、大方のメンバーを知っている自分なら、再入社してもすぐ貢献できるだろう、また自分の仕掛かり中のアプリ開発にもアイデアを借りられると思ったのです。自分のフリーランス時代の経験も役立たせることができると、菅澤も歓迎してくれました。
現在の仕事や今後のビジョンについてお話しください。
bravesoftの「パートナープロダクト」は、単なる受託開発ではありません。国民的サービスを、クライアントと「ワンチーム」になって企画からグロースまで伴走する、それが私たちのスタイルです。 私の現在の役割は、BtoC製品の開発チームリーダーとして、こうした大規模プロジェクトを成功に導くこと、そして何より、一緒に働くメンバーが成長できる環境を創ることです。 プロダクトの品質とスケジュールに責任を持つのは当然ですが、それと同じくらい「人」と「チーム」にコミットしています。メンバーに指示を出すだけでなく、パワーが不足する場面では私自身も最前線で開発に入ってチームをカバーします。bravesoftの魅力である「フランクで楽しい雰囲気」を守りながら、チーム全員が最高のパフォーマンスを発揮できるよう日々奮闘しています。 私個人の目標は、「藤本に頼めば大丈夫」と言われるオールマイティな存在になること。そしてチームとしては、技術で常に業界をリードし続けることです。 そのために今、私が最も力を入れて構想しているのが「完全AI駆動開発の仕組みづくり」です。AIを活用して開発プロセスを根本から変革し、エンジニアがより創造的な「ものづくり」に集中できる未来を、本気で創りたいと考えています。