起業を志したのはいつ頃ですか。
私は飲食店を経営していた父親の背中を見て育ったため、子供の頃から心のどこかで「いつか自分も経営者になるんだ」という思いはありました。 幼少期から自由に行動することを好む子供でした。保育園の運動会では、かけっこの時に同じクラスの男の子が走る時は先生の膝の上でゴロゴロしていて、女の子が走り出した時に走り出すといったこともありましたし、小学1年生の時には、1限目、2限目に帰りたくなって学校を脱走して帰宅したこともあります。中学、高校でも、枠にはめられて、決められたとおりに行動することが苦手でした。 会社員というのは、まさに私が苦手とする“型にはまった生き方”の極致だと思っていました。もちろん決められた仕事をきちんとやるということの大切さも理解しています。それを否定するつもりもありません。ただ、自分の性分には合わないので長くは続かないだろうと思っていました。 高校卒業後も大学進学は考えませんでした。私は、大学は遊ぶ場所だと思っていました。もちろん将来を見据えて進学し、学ぶ人もいるとは思いますが、明確な目的がないまま大学に行っても仕方がありません。その時間とお金を工面する労力を考えれば、若いうちに社会に出てしごかれた方が良い。経営者になるという目標に到達するスピードも速まると考えました。
動画編集やSNSマーケティングには元々興味を持たれていたのですか。
いいえ。高校卒業後、最初の1年は、生まれ育った宮崎でアルバイトをして生活していました。その後、上京し、たまたま入った渋谷の牛カツ店が衝撃的においしかったため、修行のつもりでアルバイトを始めました。1時間待ちの長蛇の列を見て、地元で店を開けば絶対に当たると思ったのです。 ただ、実際に現場に入って、席数や客単価、販管費を自分なりに計算してみると、最初のビジネスとしては難易度が高いことに気付きました。競合も多いし、天災や流行り病等があれば、一気にコントロール不能になってしまいます。コロナ禍のような事態を予見していたわけではありませんが、自分の努力だけではどうにもできない変数が多いビジネスに危機感を持ったことが、私のビジネスキャリアの原点です。 次に着目したのが、当時、まだライバルが少なかった動画編集です。それまで私はパソコンをまともに触ったことがなく、キーボードも人差し指で叩くレベルでしたが、ネットのまとめ記事等を読んで、「これから伸びる市場なら、先にフリーランスとして飛び込めばいい」と、勢いだけで独立しました。自分のスキルで稼げるようになることが起業する上でとても大事だということを感覚的に理解していました。オンライン講座で動画編集ソフトの使い方を学んで、貯金をはたいて購入し、広告代理店から仕事を請け負い始めたのです。 サラリーマンになったのは、取引していたSNSマーケティング会社の社長から、「一度オフラインで話さないか」とお声がけいただいたことがきっかけです。クオリティーはともかく編集作業の速さに驚かれ、興味を持っていただいたのです。私にとってもその社長の下で働くことが経営者になるという目標を達成する近道だと思い、迷わずに入社しました。 その会社では、入社1年で統括マネージャーに就任し、新規事業の立ち上げから経営までを叩き込まれました。その時リリースしたサービスは、開始3カ月で100社以上の導入に成功。その後、社員に対する思いの違いから退職することになったものの、「正しい市場で、正しい努力をすれば、結果は必ず付いてくる」という確信を得た時期でした。
その後、インフルエンサーマーケティング会社に入社し、約1年後に起業をされたのですね。
SNSマーケティングの会社ではマネジメントや経営を学びました。2社目のインフルエンサーマーケティングの会社では、「自分の手で切り開く力」つまり営業力を圧倒的なレベルにまで磨き上げたいと考え、入社しました。その結果、入社1年目でトップクラスの成績を収めることができたのですが、その時に感じたのが自分一人で出せる成果の限界です。同時に、自分と同じ熱量を持つ仲間がいれば、この成果を何十倍、何百倍にもできるという可能性を改めて確信しました。 世の中には圧倒的な強さを備える天才的な人が存在します。私が過去に在籍した会社の社長も一人で何でもできるし、突っ走っていたら勝手に周囲が付いてきて、何千万円という案件を簡単に受注してくるような人でした。私はそういうタイプではありません。どちらかといえば、プロジェクトの中でロードマップを引いて、みんなと協力して目標を達成することの方が好きなタイプです。振り返ってみれば、学生時代もなぜか物事を決めなければならない時、必ず私に判断を委ねられていましたし、1社目の会社でも同僚達は「肥田君が決めたならやるよ」と言ってくれる場面が多くありました。2社目で総合力を身に付け、結果を残したことで、組織をつくり、同じビジョンに向き合える仲間を採用し、酸いも甘いも分け合いながら頑張っていくことが、私には向いているし、大事だと改めて気が付きました。 ちょうど会社に求められて提出したSNS運用代行サービスの企画が、なぜか保留されるという出来事があって、それだったら自分でやろうと考えたことが独立・起業のきっかけとなりました。
肥田代表が目指す会社像をお話しください。
一言でまとめるならば、関わる全ての人が「この会社、最高だよね」と思える組織です。社員とその家族、クライアント様を含め、当社を通じて全員の幸福度が最大化され、自分の人生が良くなったと実感できる場所をつくり上げたいと考えています。 私は仕事こそが自力で人生を変えられる唯一の手段であると捉えています。今の社会は、高望みしなくても生きていけますが、一度きりの人生、本当にそれで良いのか、と自問自答していただきたいと思います。何を理想とするかは問題ではありません。「ブランド品を買い占めたい」「40歳で引退したい」「親孝行をしたい」等、個人の価値観や目指すゴールは様々で良いと思います。世間体の良いテンプレートの回答は必要ありません。公序良俗に反することでなければ、全ての理想が正解であり、素敵なものだと思います。 ただ、それを叶えるためには、本人が「正しい場所で、正しい努力」をすることが不可欠です。1日、1年と、何もしなければどんどん寿命が近付くだけです。理想とする姿を明確に思い描き、そのためにどこに身を置いて、どんな努力をするかを正しく見極めなければいけません。 当社では、個人の目標実現に向け、各自の夢や目標をホワイトボードで共有し、日々の会話を通して常に確認しながら行動しています。仕事を任せる際も、「この仕事は君のなりたい姿に近付くチャンスだけど、やってみる?」と、本人のキャリアや理想と紐付けて提案することを大切にしています。 私は“一人勝ち”が嫌いです。チーム全員で高い目標をクリアし、全員でその果実を分かち合う。そんな関わる全員の幸福度が最大化されるような場所を創り上げていきたいのです。「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」という言葉がありますが、私はみんなで遠くへ行きたいと思っています。一人では届かない未来へ、チームで挑みたいのです。だからこそ、還元にもこだわっています。数字で成果を出した人はもちろん、組織にポジティブな影響を与えてくれた人も正当に評価したい。そのために昇給チャンスは年4回、賞与も年2回設けています。会社の拡大に合わせて、福利厚生もこれからどんどん充実させたいと考えています。頑張った分だけ自分に返ってくる、そんな手応えを感じられる会社を目指しています。
求職者へのメッセージをお願いします。
現段階で当社に参画する最大のやりがいは、何といっても「自分達の手で会社を創っている」という確かな手応えが得られることです。当社は「一人では到達できない未来も、我々で到達する」というミッションを掲げていますが、これは単なるスローガンではありません。社員一人ひとりが自分の理想を叶えるため、主体的に、欲張りなくらい意欲的に動いています。 小規模だからこそ、決まったレールなんてどこにもありません。裏を返せば組織の基準そのものを自分達で創っていけるということでもあります。会社の成長スピードに合わせて新しいポストが次々と生まれてきますので、自ら手を挙げれば、年齢にかかわらず重要ポジションへ最短距離で駆け上がることも可能です。 「自分の力で組織を大きくしたい」「圧倒的なスピードで市場価値を高めたい」、そんなヒリつくような野心を持っている方にとっては、当社はこれ以上ない、最高の舞台になるでしょう。 ただし、当社は「働く場所を提供する会社」ではありません。私は、仕事は人生を豊かにするための最高の手段であるべきだと信じています。人生の7~8割を占める仕事の時間が、ただ給料のために耐えるだけの時間では実にもったいないと思います。だからこそ、当社は「自分の力で未来を変えたい」という強い野心を持った人が集まる場所にしたいのです。 一人の力には限界がありますが、お互いの目標を支援し合える仲間がいれば、一人では到底到達できない未来にも必ず辿り着けます。あなたの内側に秘めた熱い野心を、ぜひ面談でぶつけてください。お会いできることを楽しみにしています。