起業をお考えになったきっかけを教えてください。
17歳の時に山口絵理子さんの著書『裸でも生きる』を読み、人生で初めて「こういう人になりたい」と思いました。ボランティアでも純粋な営利ビジネスでもなく、社会課題を中長期的に解決していくソーシャルビジネスという形に強く惹かれたのです。 その思いから山口さんの母校である大学に進学しました。在学中、数多くの起業家の講演を聴く中で、「どうしてもやりたい事業がある時に起業すればいい」という言葉が心に残りました。 そして、私にとっての原点となったのが祖母の存在です。幼少期から憧れだった祖母が86歳の時に転倒し、家にこもるようになってから「長く生きすぎちゃったかしら」と漏らしたその言葉が胸に刺さり、シニアが「もっと生きたい」と思える社会をつくりたいと決意し、起業を選びました。
赤木代表はどのような幼少期を過ごされていましたか?
幼少期はモダンバレエや陸上に夢中で、常に「何者かになりたい」という気持ちを抱えていました。自分を「平成意識高い系」と呼んでいるのですが、同世代の浅田真央さんやキム・ヨナさんが世界で戦う姿を見て、「自分はこんなところで何をしているんだろう」と、秀でたものを持たない自分に対し、震えるほどのコンプレックスを感じていたのを覚えています。 ただ、その劣等感が強い向上心や挑戦のエネルギーに変わっていったのです。振り返れば、私は小さな挑戦と小さな失敗、そして小さな成功を積み重ねながら育ちました。成功すれば「円香は天才!」と胴上げ級に褒めてもらい、大きな声で挨拶しただけでも賞賛されました。 そうした経験の積み重ねが挑戦を恐れない姿勢を育み、行動に移すスピードを速めてくれたのだと思います。失敗も成功も許容してもらえる環境こそが、今の私の原点になっています。
仕事においてこだわっている点を教えてください。
私のこだわりは、社会的価値とビジネスの持続可能性を両立させることです。シニアの方々を対象としたサービスでは、純粋に相手のためを思う気持ちと、事業として成立させる必要性の間で常に葛藤があります。訪問事業では、お客様との信頼関係を利益に変えることは絶対にしたくないです。シニアの方々を「お金儲けの対象」とは捉えず、温かいサービスを提供する姿勢を守ることが基本です。その一方で、事業として成り立たせなければなりません。 そんな葛藤を抱えていた際、大きな転機となったのは、理想を追求する「バリューポイント」と利益を生む「キャッシュポイント」を切り分けるという考え方でした。信念に反するクライアントとは組まず、3年かけてこの姿勢を固めてきました。今では両立に自信を持ち、シニアの方々に本当に喜ばれる価値を届けるために、私自身も現場に立ち続けています。
『モットバ!』の特徴について教えてください。
『モットバ!』は、ただの作業スペースではなく、世代を超えた交流が自然に生まれるリアルなコミュニティです。ランチ会やスマホ教室、夜にはお酒を飲みながら語り合うバーイベントまで、日常に溶け込む企画が幅広くあります。 シニアの方々が眉メイクレッスンで薄ピンクに挑戦し、皆さんがとても可愛らしくなられたのも印象的でした。気難しそうな方でも、若者との対話を重ねるうちに心を開き、「俺の人生を全部お前に託す」と言ってくださることもあります。同性同士だからこそ深く語れる関係や、バレンタインに学生が花束を贈るような心温まる交流も生まれています。 ここでは、若者がデジタルや体力で支え、シニアが戦後を生き抜いた経験を語る。どちらかが一方的に与えるのではなく、知識と経験を交換し合いながら、人生をより豊かにできることこそが『モットバ!』の最大の特徴だと思います。
今後、どのようなビジョンを描いていらっしゃいますか?
私の目標は、2030年までに3.7万人のAge-Well Designerを育成することです。そうすることで、約3,650万人のシニアの人生をより前向きにできると考えています。 育成の過程で得た知見はデータとして蓄積・解析し、新しい事業やシニアを軸にしたサービス展開に生かしていきたいと思います。既に大規模なカンファレンスを開催し、「Age-Well Design Award」を設けました。これはシニアを真剣に考えて事業に取り組む方々が自らを表明する仕組みで、社会全体での価値観の共有に繋がると期待しています。 私達はシニアを深く理解し、若い世代として新しい超高齢社会を創造する独自の立ち位置を大切にしています。そして市場で最大の売上を誇る企業に成長することを目指します。最終的には、65歳定年といった既存の枠組みを超え、何歳からでも活躍できる自由で前向きな社会をつくっていきたいです。
