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インタビュー画像代表取締役社長 白鳥和明氏

起業することは昔から考えていましたか?

青森の出身で、高校卒業後に地元の漁港の仲卸に就職し、カニなどを売っていました。一番の下っ端だったので、3時30分に出勤してシャッターを開け、15時半まで働くきつい仕事です。 18歳の当時のこと、農業を手掛けていた父親を手伝っていた時に、ふと近くのテニスコートでテニスに興じている人たちを見て、「会社をつくって見返してやる!」と決意します。また、当時愛読していた『少年ジャンプ』で、北斗の拳のラオウが死に、「人生は一度しかない」と思ったことも大きかったです(笑)。 数学が得意だったことから、カッコいいコンピュータの世界で独立しようと思い立ったのがきっかけです。

これまでのキャリアを教えて下さい。

20歳で上京し社員寮のあるシステム開発会社に入社しました。 ところが、22歳の時にバブル崩壊で倒産。次の職場を探すも、不況のさなか、高卒で雇ってくれる会社はどこにもありませんでした。ならばと大学に入ることにして、父親に負担はかけられまいと最も学費が安いところを探すと、年間15万円という慶應義塾大学法学部の通信講座を見つけました。メチャメチャ勉強しなければなりませんでしたが、最後の卒論で躓いて留年。けれども、その1年間に生命保険会社でプログラマーのアルバイトができ、その後のキャリアに繋げることができました。 27歳で卒業後、外資系生命保険会社のSE募集に応募すると、「変わった人生の面白いヤツ」と認められ(笑)、無事入社できました。そこでは、基幹システム開発・運用にかかわるあらゆる業務を経験します。 しかしながら、2004年にM&Aの噂が出て業績が低下。リストラの指令が下りましたが、自分の部下を切ることは忍びなく、自ら退職を選びます。そして、別の外資系生命保険会社のBA(ビジネス・アナリスト)募集に応募し、さらに当該業務の経験を積みました。 幸い、活躍することができ、日本人で2人しかいない次期リーダー育成プログラムに指名されます。修了後、このまま幹部となっては抜けられなくなると念願の独立を果たすことにし、2006年5月に当社を創業しました。

白鳥さんの仕事観をお聞かせください。

若い頃は、「一度きりの人生、悔いを残したくない、世の中に爪痕を残したい」といった思いがありました。そうと決めたらうだうだ考えず、あとはやるだけと突き進んできました。何事にも全力で取り組む姿勢は昔から一貫して変わってないと思います。 今では、人から喜ばれることが一番。「ありがとう」と言ってもらうために仕事しているという感じです。一番嬉しいのは、社員からそう言ってもらえることですね。

社員に対して、どういった存在になってほしいかの思いをお聞かせください。

先日、社員が家を買ったと聞き、とても嬉しかったということがありました。自分も従業員に生活基盤を提供できるようになったという感慨があったと思います。 社員には、本人が目指すところに向けて、そのための仕事の機会を提供したいと思っています。本人の良さを汲み取り、それが生かせる仕事にできるだけアサインしたいという想いです。“適材適所”こそが、最も本人を生かせると思うからです。

求職者へのメッセージをお願いいたします。

私が上京した当初、最も苦しい思いをしたのは、東京には友人や仲間が一人もいないことでした。そんな痛烈な経験があるので、当社は温かみのある、"家族"のような存在を目指しています。 知識やスキルが足りていなければ、勉強の場に出したいと思いますし、仕事だけでなく人生で困っていることも相談に乗りたいと思います。そのように緊密な関係を築きたい。飲み会や社員旅行を必参加としているのも、そこに理由があります。 一方で、今の若い人にはこうしたウェットな関係を好まず、飲み会も拒否する人が多いことも承知しています。“適材適所”がベスト。私は当社のこうした環境を大切にしたいと思いますので、共感する方にぜひ応募していただきたいと願っています。

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