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インタビュー画像取締役 CTO 川上 知成 ㈱ドリコムに新卒として入社。エンジニアとして複数事業に従事。マネジメントとしてゲーム事業を中心に組織・技術を推進し、技術部長職を経験。その後、ヘルスケアスタートアップ企業にて開発部長に就任し、プロジェクトマネージャー、スクラムマスターを兼任しサービス、開発組織を牽引。

これまでの経歴や、エンジニアとしてのバックグラウンドを教えてください

エンジニアとしてのキャリアは、インターンでドリコムという会社に入ったのが最初です。当時は学生で、電気通信大学という大学に通っていました。ちょっと特殊な大学で、情報系といっても、工学部の中にある電気電子情報などの技術全般をやり、エレクトリックなものから情報通信・メディア、情報処理含めて全般をやるという学科でした。 私は中高校生の時から音楽が好きだったので、卒業後は音楽関連メーカーや日系家電メーカーみたいな所に行くのだろうと、当時はぼんやり考えていました。なので、学部の研究室も音響工学を研究しているところを選んだり、音楽音響学、波動工学、信号処理論(DSP)とかを好んで勉強していたし、サークルもいわゆる軽音部だけでなく本格的なPA(Public Address)を行えるサークルに入って、ライブや舞台音響を作るということをやっていました。 ところが、講堂で千人規模のステージを実際に作ってみたとき、この世界で自分がやれることの限界のようなものが見えてしまいました。音楽音響のエンジニアリングをを極めたとしても、行きつく先は音楽系の家電や音響機器メーカーで、自分の仕事が届く先は趣味の世界。何か新しい産業を作り上げるとか、社会を動かすみたいなことには程遠い感じがして、当時の自分が漠然と描いていた戦後の日系メーカーが描いてきた成長曲線とは少し違うなと感じてしまいました。 なのでもっと違うことをやってみてはどうかと思い、就職はせずに大学院に進学することにしました。そこでは新しいことに挑戦するため、情報システムの方に進みます。それまではいわゆる情報系については、課題とホームページを作るくらいしかやったことは無かったですが、学部研究を機に、波形解析(FFT)やデジタルフィルター(窓関数)を書いたりしたのが初めてのまとまった規模のプログラム開発でした。 狭義のヒトへのI/Fである音響から、よりヒトに対する影響の探求として捉えて、コンピュータ・ヒューマン・インタラクション(CHI)の研究室に所属しました。そこでアラン・ケイのDynabook構想とか、パロアルト研究所の基礎研究成果からマッキントッシュの発想が生まれたりとか、そういった話を学ぶところから始まり、認知科学、パターン認識、AI、VRやARなど現代では欠かせない分野の基礎を学び、当時はユビキタスコンピューティングと呼ばれていた領域のUIのプロトタイピングをするという研究をしていました。 一方で、PCにRed HatをインストールしてWebサーバを立ててみたりと、インターネットに関する新しいこともいろいろ試したりしていました。それまでの自分は結構真面目なタイプの学生だったのですが、その研究室は新しい提案や突飛なことをバンバンやるというスタイルで、正直ギャップはありました。でも、ただ突飛で面白いことをやるのではなく、その裏には理論や学術的に意味があることが要求されます。両者の掛け算によってコンセプトがデザインされるため、研究のレベルは非常に高くて大変でしたが、刺激的でもありました。 その研究室で感じたギャップは、振り返れば、自分が何をしたいのかということに向き合う良いきっかけになりました。 学部生の時は、大企業に入って、その一部として大きなことをしていくようなイメージを持っていました。しかし幸いなことに研究室を通じて、その当時の情報システム領域の潮目が変わってきているのを体感することができました。コンピュータやインターネットの世界では新しいコンセプトが次々と生まれていたり、その一方では、ネットベンチャーが勃興したりというタイミングでした。サイバーエージェントの藤田さん、ライブドアの堀江さんやGMOインターネットの熊谷さんといった人たちが新しい産業を作ろうとしていました。もちろん自分もネットワークやコンピュータに興味を持っていたので、産業が今まさに興っているという現状の中で、何をすべきかということを考えました。 その結果、インターネットで自社サービスをやっているところに早い段階から入って、ベンチャーを体験したいという風に思うようになりました。それで大学院は休学、後に中退し、当時インターンをしていたドリコムにそのまま入社することにしました。

ドリコムさんではどのようなお仕事をされていたのでしょうか

まず最初にドリコム CMS という、今でいえばホームページを作れるSaaSを展開している部署に配属になりました。 それまで書いたことのある言語でいうとC、C++、C#、Pascalくらいだったのですが、入社前後ぐらいでRubyやPerlを触ったり、B2Bプロダクトに関わる際にJavaで書かれた大規模アプリケーションを触らせてもらったというのは、大きな経験になりました。そこでひとつのサーバークラスターでたくさんのお客さんのサイトを支えるという体験をしました。 その後、会社の状況も変わり、ブログやSNSのパッケージを開発して販売・保守するという案件を扱うチームの中で、開発メンバー兼PMとして入ったというのが2年目ですね。このタイミングでいろんな案件を経験しながらサービスを複数立てていくという経験もしました。サーバーはお客様のデータセンターに用意していただくのですが、ミドルウェアのインストールからアプリケーション、開発、テスト、デプロイ、リリース、運用、追加開発はこちらでやるという座組みが多かったです。 その他に高トラフィックの事業基盤の立ち上げ・拡張に関わりました。高トラフィックであるとログがたくさん出てそれを集計することがビジネスやビジネス支援になったりするのですが、それを集計するためにHadoopを使ってました。今で言うところのビッグデータですね。 ビッグデータを扱い始めた当時はGoogleの主戦場で、その他企業はこれからという技術でした。検索結果というのはキャッシュストレージの固まりで、一回クロールしたHTMLをサーバに保存しておき、その中でリンクをたどって、その先をさらにキャッシュして検索できるページ数を増やしていくという仕組みです。そのHTMLの中に何が書かれてるのかというのを辞書に入れてインデクシングしていって、検索窓でキーワードをたたくとそこにHTML文書がヒットするという構造なんですね。 それを貯めておくのもひとつのデータベースサーバーで満たせるわけもないので、より効率的な形で分散して持っておくにはというところで、大規模分散ストレージ・処理といったビッグデータというコンセプトが出来ました。そういうことができるようにするオープンソースソフトウェアがなかったのでHadoopができたという感じですね。Apach hadoop v0.15あたりからのバージョンアップ作業や互換性を高めるためにCDHへの乗り換えなど技術動向変化を体感しながら、処理性能向上・工数削減などビジネスメリットも出していたような記憶です。 その後ソーシャルゲーム事業に異動になり、ゲーム開発兼PMとデータ分析基盤を作るチームに所属しました。後者はデータに基づいて自動でゲーム運営を最適化することを目指す部署になります。 途中から開発だけでなく、プランナーやビジネスサイドと協力した横ぐしプロジェクトの中でも就業しており、設計・構築されたものをうまく運用に乗せるにはどうしたらいいかを、PMやテックリードという立場で考えていました。ソーシャルゲーム事業では、あらゆる基盤技術系のことをやってゲーム開発を支えていました。 またそれまではサーバサイドメインだったのですが、スマートフォンが一般化するにつれ、ゲームクライアント開発をどう強めていくかという話があった時に、横串でクライアントチームを強化するためにクライアント基盤開発にも取り組みました。 基盤開発の経験を経て、その後取り組んだのがHTML5を使ったゲーム開発技術の検証とプロトタイピングでした。研究開発から新規事業の立ち上げまで持っていくところを一貫して当時の社長と一緒に取り組みました。プロトタイピングや技術検証といった技術的なところだけでなく、協力会社の評価をしたり、デモの見せ方を考えたり、事業として成立させるための戦略検討や提携先企業との交渉など、色んな事をやらせてもらいました。 自分たちが作っているのはプラットフォームで、このプラットフォームに他社さんからもゲームを提供してもらうというのが戦略方針だったので、サードパーティの会社さん向けの開発支援チームの立ち上げだったり、自社・他社問わない全体のリリース管理だったりとさらに守備範囲は広がりました。

ヘルスケア業界に転職した理由を教えてください

前述の通り、ドリコムでは色んな「プロジェクト」に色んな形で技術的に関わらせてもらいましたが、「プロダクト」という観点で深くまで関われたかというと、正直もどかしさも感じ始めてました。 自分がゲームディレクターとかプロデューサーだったら視点はまた違ったと思うのですが、自分自身がプロダクトやサービス、事業の成否を決められていないような感覚がありました。プロジェクトやプロダクト開発の成否を決める立場ではあったと思いますが、事業の成功・失敗というところでも直接的な貢献だったり、意思決定には関われていないと感じてしまって。 一通りの技術やプロジェクトの経験はして、ソーシャルゲームという事業が立ち上がってゆくプロセスを見ることはできましたが、元々描いていた社会変革に取り組むというイメージとはちょっと違ったんです。その一方で、世の中のインフラになり得るようなSaaSに取り組んでいる企業も出てきていたのが目に入っていました。 そしてそんなことを思っている頃に、ヘルスケア系の会社で働く知人から誘いを受け、それに乗ったというのがヘルスケアの業界への転職のきっかけですね。 そこは遺伝子という切り口でヘルスケアを考えるという事業に取り組んでいました。遺伝子って、ある意味究極の個人情報であり、人の体の設計図になるんですよね。その会社では、遺伝子を検査した結果が人々の健康や世の中の役に立つという世界を作ろうとしていて、その世界の面白さに惹かれました。 今思えば単にヘルスケアという領域に惹かれたというよりも、新しいサービスの切り口を探していたのかもしれないです。その会社はあくまで遺伝子検査というのが提供サービスであって、自分が取り組んでいたのはその検査結果を人が見やすい形でレポーティングしたりとか、周辺ITサービスを作ることでサービスの価値を高めるというところを担っていました。 役職としては開発部長で、開発組織のマネジメントやPM、プロダクトマネージャーやスクラムマスターも兼務しているような感じでした。技術面だけでなく、どうやって事業を作っていくのか、事業を成長させるためにどう優先順位をつけるかとか、スピード感を身をもって体験できました。 あとはセキュリティに向き合えたのも非常にいい経験になりました。究極の個人医療情報である遺伝子をどう取り扱うのか、どう守るのかという観点をその道のプロフェッショナルの方(海外国防関連、暗号通貨関連、CISSPホルダーなどの経験豊富な外国籍メンバーや共に取り組んでいただいたクラウドベンダー様、協力会社様など)と議論して形にしていくということは他では得難い経験でした。

DTxプロダクト開発の技術的な面白さ、難しさはどこにありますか?

技術的に難しいポイント、例えば高トラフィックで実現が難しいとか、ソフトウェアとして実現することが難しいということは、現時点ではないです。 それよりもソフトウェア開発の難しさは、何をやりたいか、どういう価値を届けたいかという事を際限なく突き詰められてしまう点にあると思っています。それは思い返すとSaaS事業だったりゲーム事業も同じでした。既存の成功事例がない/少ない新しい領域で、一つのまとまった形として実現していくということが難しいのだと思っています。 DTx ならではの面白さという意味では、患者さんに直接、治療という形で届けるUI/UXを開発するというのは他ではできないので、そこはチャレンジのしがいのある所ですね。 治療を通して得られるデータというのは、一般的なヘルスケアアプリのデータとは入力の質が違うと感じていて、そこは特殊性があると思います。今はアプリケーションを通じてユーザーさんに入力いただくという形ですが、今後活用領域が広がっていくと、それこそモバイルアプリでアクティビティモニタリングの生体情報であったりリアルワールドデータと呼ばれるものが集まってきて、その中でどうやって治療に向けて整備していくか、というチャレンジのしがいのある技術的課題も出てきますね。

どのような人と一緒に働きたいですか

現在の会社のフェーズを踏まえると、医療やDTxというところへの興味関心があって、ビジョンに共感して頂ける方の方がやりがいも感じて頂けるし、長く携わって頂けると考えてます。 正直この事業自体は短期集中で結果が出ると保証されるものではないし、そこを無理やり目指すべきではないと思っています。患者さんのためになるものを作る、という長い道のりを楽しみながら苦労できる方がいいんじゃないかなと思っています。その中で新しい発見や新しい学びがたくさん発生するものなので、それを機会と捉えてチャレンジして行ったりキャッチアップしていくことを楽しめるかどうか。そんな方であれば、一緒に働く上でお互いに刺激し合える環境を作れると思うし、個人と会社の今後の成長にも繋がっていくんじゃないかなと考えています。

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