FASHION MAKER KOJIMA
株式会社小島衣料は1952年創業の衣料のOEM企業です。
1991年の湖北省における湖北美島服装有限公司の設立以降、現在は海外に4工場(中国に2工場、バングラデシュに1工場、ミャンマーに1工場)を有している(2018年9月現在)。
「我々を取り巻く環境は、常に変化しています。中国に一極集中していた縫製は、経済成長に伴う人件費上昇や人手不足で、アセアン諸国への移転が始まっています。私たちもバングラデシュのダッカに2010年新工場を稼動させました。中国、バングラデシュ各工場それぞれの強みを磨き、強みを活かし、アジア№1と認められる工場を目指していきます。」(代表取締役 石黒氏)
2003年度からは、縫製業だけでなく、アパレルCADなどの縫製周辺事業を積極的に展開している。60年以上の歴史において培ってきた経験・ノウハウを生かし、日本のアパレル業界の発展を支え続けているのである。
苦境を乗り越えた「攻めの経営」
今でこそ多くの有名企業との取引を行っている同社だが、これまでの道のりは決して平坦なものではなかった。
1985年のプラザ合意後、韓国をはじめとする安価な海外製品の流入が進み、国内業者にとって非常に苦しい状況となる。加えて、その頃国内では人手不足に悩まされており、同社でも社長自らがリクルーティングのため学校に赴いているような状況でもあった。
「人が集まらないのであれば、人の集まる土地に行けばいい」、こうした状況を打開すべく同社は海外に目を向けた。候補地の選択から現地の視察まで、準備期間を経て1990年に辿りついたのが中国の湖北省。そこから同社のグローバル展開がスタートしたのである。
業務スタイルや文化の異なる中国の従業員たちに、日本人の求めるレベルの仕事を理解してもらうのは生易しいものではなかったという。葛藤の日々が続いたが、諦めることなく体当たりの経営を実践。文化の違いを逆手に取り、中国人が自発的に動いてくれるような仕組みを構築、独自の組織マネジメントにより問題をクリアしたのだ。同時期に、バブル崩壊により安価な製品を求めていた日本の業者からの受注が飛躍的に増加。設立当時25名だった従業員は2年目には1,000人、3年目には3,000人と膨らみ、日本人の立ち上げた小さな事業所は現地の一大工場へと変貌を遂げた。
1993年には上海に進出。その後も数多くの現地工場を立ち上げ、中国において一時は1万人を超える従業員を抱える企業にまで成長したのである。それを成し遂げたのは同社の開拓精神、「攻めの経営」にほかならない。
経営者視点を持って働ける職場
社員数は約80名。社員一人ひとりの担うミッションは小さなものではない。しかし一方で、それは個人が早く成長できることを意味するのだ。同社では、会社は「経営者を教育する場所」だと考えている。
「ベンチャー志向の高い若者たちには、多くのチャンスを与えたいと考えています。経営者視点を育てるためにも、経営ノウハウを実践で学び、企業経営の鉄則を修得してもらっています」と同社経営陣は語っている。