ご略歴をお教えください。
1964年に鳥取県で生まれました。高校は地元の工業高校に進み、その3年間は新聞配達のアルバイトをしていました。それは、早く自分自身で稼いでいきたいという思いが強かったためです。そのため、高校を卒業後すぐに就職することにしたのです。就職先は文部省(現・文部科学省)で、技官として広島県にある大学の工学部の研究室に行くことになりました。いわゆる国家公務員でした。 化学系の研究室でしたが、電子スピン共鳴(ESR)という物質中にある「不対電子」を磁場中でマイクロ波を用いて検出し、その状態を非破壊で解析する分光法に関する研究補助をしました。その研究の中で、コンピュータを用いたシミュレーションを行うことになりました。当時シミュレーションソフトは海外での大型コンピュータ向けのものが主体でした。そこで、当時発売されたばかりのPC98で使えるようダウンサイジングすることになり、私がそれを担当することになりました。工業高校は機械科だったので、この時からコンピュータと密接に関わるようになったわけです。 一連の研究成果を学会で発表することになり、自分の携わったしくみが世の中に出ていくことへの達成感を感じた結果、もっとその道を究めたいと思い、公務員の安定を断って自ら道を切り開くべく民間企業に転職することにしたのです。 転職先を探し、地元鳥取にある大手電機部品メーカーの子会社から案内が届き、22歳の時の1986年に入社することになりました。そこでは、大学の研究室とは全く違う言語で全く違う領域の開発業務に当初は戸惑ったものの、次第に自分が手掛けた成果物に喜ぶユーザーの顔にモチベートされるようになります。海外拠点に赴いたり、親会社ともやり取りしながら社内SEとして充実した日々を過ごせました。 しかし、社内SEはコスト部門としての傍流感がぬぐえず、仕事を替えたくなって人事部門に移ったのです。そこでは工場の従業員の大々的なリストラも手掛けてつらい思いもしました。 ここで独立し、自分の理想とする会社をつくろうと思った矢先、そんな私の意向を、仕事を発注していたシステム開発ベンダーのワコムアイティの社長が聞きつけて、アプローチしてくれました。「起業する前に、経営者の近くで練習した方がいい」といった落とし文句でしたが、それに応じたわけです。 しかしながら、39歳で入社した私の給料は半減しました。私は「1年で戻し、2年で倍にしてやる」と発奮し、2年目に取締役、その後昇格を続けて2015年に社長に就任します。 2018年には、M&A仲介会社経由で知り合ったディアロネットとのシナジーをお互いが認め合い、ディアロネットがワコムアイティを買収し、子会社となりました。翌2019年には社名もペンタスネットに変更して再スタートを切ったという経緯です。その後、私はディアロネットの社長も拝命し、グループ全体を見るようになっています。
株式会社ペンタスネットをどういう会社にしていこうと考えていますか?
当社は、1993年4月に株式会社島根ワコムとして設立されました。ペンタブレット製品で世界シェア60%以上という圧倒的な強みを持つ、株式会社ワコムの開発拠点としてです。その初代社長は、「喜びを創造する」というフィロソフィーを掲げており、私の入社動機の一つになったほど共感しています。「喜びは自らつくり出すものである」というポジティブな精神はそのまま継承しています。 その上で、“ペンタス”という花の名前を社名に持ってきたとおり、この花言葉である「希望が叶う」ことを最重視しています。“ペンタ”とは、古代ギリシャ語で“5”の意味ですが、お客様、社員、その家族、地域、株主という五つのステークホルダーの希望を叶える存在を目指します。
そのために社員に対して期待することや、社員がペンタスネットでどんな人生を過ごしてほしいか。思いをお聞かせください。
会社の一員として、社員には自らの喜びは誰かから与えられるのではなく、自ら勝ち取ってほしいと思っています。その実現のために会社を利用してほしい。そして、会社と二人三脚で一緒に成長させてほしいですね。 また、社員にはそんなプロセスを楽しんでもらいたいです。自分のやりたいことがあれば提案してほしいですし、そのために提案制度も設けています。 自分の提案領域が私の範囲を超えるものであっても、むしろ歓迎します。それだけ会社の幅が広がり、新たな人材の獲得にも繋がるからです。 求職者の方に対しては、やりたいことができないことに悩んでいるのならば、ぜひ当社にアクセスして、やりたいことができることを確認してみてください。 なお、当社には島根県松江市の本社および出雲市のオフィス、東京支社という、中央と地方に拠点を構えている特徴があります。島根では、通勤時間はせいぜい30分程度で、自然に恵まれた中で穏やかに過ごせる環境があります。東京のような刺激はありませんが、必要ならば東京支社で働くこともできます。そんなハイブリッドな就労環境は、エンジニアのライフスタイルとして魅力があるのではないかと思っています。
福光代表の仕事観をお聞かせください。
経済的にも、精神的にも、自分が生きていくためには、「喜びを創造する」という言葉がベースにあると思っています。
オフタイムは、どういった過ごし方をしているのでしょうか?
最近ではゴルフを楽しんでいます。以前は大嫌いだったのですが、社内コミュニケーションの必要性から始めたところ、社内だけでなく社外の様々な人とゴルフを介して繋がるようになり、ゴルフの効用を再認識しました。当面の目標は90を切ることでしょうか(笑)
