学生時代にインターンで、どんな仕事を経験してきましたか?
東京の大学に通いながら、インターンとしてIT業界でのキャリアをスタートしました。最初に働いたのは、学生起業家が立ち上げた塾講師の紹介サービスを展開する会社。その会社で展開していた、学生向け合宿の見積もりが簡単に取れるWebサービスを「何とかしてくれ」と託されました。当時はまだ20歳にも満たず、ビジネスのこともITのことも知らない若造。それでも手探り状態で事業をグロースさせるために試行錯誤を重ね、HTMLやCSSを独学で習得しながら、現場で実装力を磨いていきました。 その後、会社が合併されることになり、私はSNS事業等を手掛ける会社でインターンとして働くことに。当時はブログサービスを展開していた時期で、事業の裏側に触れる貴重な経験を積みました。さらに、後にクラウドソーシングサービスを手掛ける会社を創業する吉田浩一郎さんの下で営業を経験。続いて、私のアイデアに興味を持ってくれたベンチャー企業に参画し、社内SNSサービスの企画・開発に携わりました。その流れで人材サービスを手掛ける会社にて子会社の立ち上げにも関わり、そこで再びインターンとして現場に入りました。 当時はまさに学生起業家ブームの真っ只中。著名な経営者達のすぐ近くで仕事ができ、彼らの考え方や仕事の哲学を肌で感じられたことは、今でも私の大きな財産です。現場で学び、実践し、挑戦し続けたあの時間が、今の自分の原点になっています。
大学卒業後、ベンチャーではなく、経営コンサル会社に入った理由は?
大学時代にインターンとして関わっていた人材サービスを手掛ける会社の子会社では、サービスの種となるアイデアを自ら考え、設立から参画していました。そのまま残る選択肢もありましたが、将来は家業を継ぐことが既定路線。いずれ宇部に戻ることになると分かっていたからこそ、ベンチャーに残るよりも、家業を継いだ後に生かせるスキルや経験を積もうと考え、経営コンサルティングの道を選びました。 創業家に生まれた方なら共感いただけると思いますが、幼い頃から「後継者」として育てられると、それが当たり前になり、自分の意志で覆そうとは思わなくなります。私も大学入学で上京した時から、いつか宇部に帰り、祖父がつくった会社に入るだろうと自然に考えていました。大学卒業時には父と「3年したら宇部に戻る」と約束を交わしたことも覚えています。 経営コンサルティング会社で働いて学んだのは、中小企業の経営者が「会社を潰さないことが最も重要」と考えている事実です。インターン時代にベンチャーで働いていた頃は、サービスやプロダクトを生み出し、それをいかに伸ばすかがビジネスの本質だと思っていました。しかし、実際に事業が回っている中小企業では、業務と資金の流れを止めないことこそが最重要事項。事業を継続させることの重みを、肌で感じることができました。
祖父が創業した吉南株式会社に入社し、その後、辞めて上京したのは、なぜですか?
私は当社に2度入社しています。大学を卒業後、中小企業向けのコンサル会社で働いた後、吉南に入り、物流会社の営業として全国を飛び回っていました。その中で痛感したのは、物流業界の非効率さです。電話とFAXが中心で、デジタル要素はほとんどなく、多重請負構造の中でコンペに敗れた会社から仕事が回ってくるような状況でした。 学生時代のインターンで「インターネットでダイレクトに繋がる世界」を経験していた私は、ITの力で物流を変えられるのではないかと考えました。そして、荷主と運送会社をマッチングするサービスを開発しようと決意し、父に内緒で会社を設立。エンジニアとともにプロジェクトを進めました。 しかし、その挑戦は父に知られてしまい、社長室に呼び出されました。私は「IT×物流は今後の核になる事業だ」とアピールしましたが、「必要ない」と一蹴されました。そして「中途半端は良くない。吉南を辞めるか、設立した会社を辞めるか選びなさい」と迫られ、私は吉南を辞めて再び上京する道を選びました。
上京して事業を進めていたのに、なぜ吉南へ戻ることにしたのですか?
物流業界の多重下請け構造を変えたいと考え、まずは荷主と運送会社を繋ぐマッチングビジネスを始めました。しかし、Webサービスで中間マージンを得ているだけでは、結局構造は変わらないと気付きました。運送会社の6割が赤字と言われる中で、現場を走らずに利益を得ることに疑問を感じ、自ら宅配事業を立ち上げました。ECサイトの配送を請け負い、フリーランスのドライバーさんに運んでもらう仕組みです。事業は軌道に乗り、その流れで宅配ボックス事業も展開。東京・大阪・横浜に拠点を構え、経営は順調に進みました。 しかし、資金調達をして事業拡大を目指す仲間と、いずれECサイトがラストワンマイルを自社で担うだろうと考える私との間で意見が分かれ、私は身を引く決断をしました。啖呵を切って飛び出した手前、自分から戻ることはできず、好きなコーヒーに関する事業でも始めようかと考えていた矢先、吉南のお客様やかつての仲間から「戻って後を継ぐことを考えてほしい」と声をかけていただきました。 父と話し合い、会社を継ぐに当たって一つだけ条件を出しました。それは私がオーナーになること。目的は、中長期の視点で経営をするためです。DX急速に進め、トップの決断で物事がスムーズに動く体制を築くために、父の株を譲り受け、オーナー社長になるのを条件に2度目の入社を決意しました。
吉南に戻って、どんな仕事をしてきましたか?
吉南に戻り、常務を2年、副社長を1年務めた後、代表取締役社長に就任しました。約束通り全株式を譲り受け、父は会長となりましたが、経営は100%任せていただいています。 社長に就任した私は、まず事業の整理を進め、現在のグループ体制を築きました。SaaSを積極的に導入してモダンな環境を構築し、採用と教育体制にも力を入れました。業務の標準化を進め、働き方改革にも着手。かつては過度な残業等もあり、現代のスタンダードからはかけ離れていました。今では、休日も増え、働き方も改善してきました。 社長に就任して5年、ようやく「モダンな会社」になってきた実感があります。新しく入社した若手達がグループ各社で活躍し、次々に重要なポストに就いています。業務の進め方も働き方も人材育成も、東京の企業と変わらないレベルに近付いていると自負しています。宇部で暮らす若者と共に、働きがいのある会社をつくり、「山口にキチナングループあり!」と全国にその名を轟かせたいと考えています。