新卒で大手電機メーカーに入社した理由は?
大学では金融工学を専攻していました。同級生達が投資銀行や証券会社等、金融業界への道を進む中、私はどうしてもその世界で働く自分の姿をイメージできず、将来の進路に思い悩みました。 「自分は何がしたいのか?」と内省を重ねた結果、私は「チームで何かを成し遂げること」に強く喜びを感じる性格であると気付きました。高校時代にラグビーに打ち込んでいた経験も、そんな価値観の形成に大きく影響していたのかもしれません。 そんな私が思い至ったのが、チームで一つのプロジェクトを完成させていく“システムエンジニア”という職業でした。当時はITバブルの真っただ中で、ITエンジニアは将来有望な職種として注目されていました。大学で履修していたC言語の授業で、自作したゲームが人気を集めたというささやかな成功体験も、IT業界へと踏み出す後押しをしました。 また、就職活動の時点で、将来的な起業も視野に入れていました。当時は若くしてベンチャーを立ち上げる人が多くいましたが、その中で成功を収めるのはほんの一握り。起業を志すにしても、まずは大きな組織の中でビジネスの基礎をしっかりと身に付けることが重要だと、先輩からアドバイスをもらいました。そこで私は、安定した環境を選び、新卒で大手電機メーカーに入社することを決めました。
ポータルサイト等を手掛ける会社ではどんな仕事をしましたか?
新卒で大手電機メーカーに入社し、5年間にわたり物流系システムの開発に従事しました。仕事は順調でしたが、将来的な起業を目標としていたため、よりスタートアップの現場を体験しようと考え、創業1年半のスタートアップへ転職。そこでは一人目エンジニアとして参画し、国産CMSの開発に5年間携わりました。 「いよいよ起業を」と考えていたタイミングで、先に妻が広告代理店として独立を果たしました。“小川家ポートフォリオ”を考え、私はリスクヘッジの観点から起業を一旦思いとどまり、ポータルサイト等を手掛ける会社へ移籍しました。 ポータルサイト等を手掛ける会社ではプロジェクトマネジメントをメインミッションとし、100名規模のチームを率いて、サービス利用時のログインに使用するIDの開発や決済領域、eコマース等の大型プロジェクトの技術責任者を務めました。いくつかのプロジェクトを成功に導いた後、自ら会社にキャリアの転換を相談したところ、事業責任者のポジションにチャレンジさせてもらえることに。元々技術畑でキャリアを積んできましたが、PMとしての経験を経て、ビジネスサイドも含めたより高い視座でのマネジメントや意思決定を担う立場を経験したことで、キャリアに大きな広がりが生まれました。
HR事業等を手掛ける会社→PR事業等を手掛ける会社→ベンチャー企業では、どんなキャリアを積み上げましたか?
ポータルサイト等を手掛ける会社で事業責任者を務めた後、私は新規事業の立ち上げに本格的に取り組みたいと考え、HR事業等を手掛ける会社へ転職しました。その会社が新たに金融子会社を設立し、グループ各社の顧客に融資する新規事業を立ち上げるタイミングでした。私はデータを活用した信用スコアリング業務を担当し、機械学習のスキルを習得。この経験は、自分の中でデータと事業を繋ぐ視点を磨くきっかけとなりました。 しかし、事業は想定通りに進まず解散。次に、国内最大手のPR会社に転職し、社長直下の新規事業にエンジニアリング責任者として参画しました。技術チームの立ち上げから携わりましたが、構想が先進的すぎたこともあり、社内の理解や組織の実行力とのギャップにより、グロースには至りませんでした。 その後、子育てメディアを運営するベンチャー企業にCOOとして参画し、経営と事業運営に広く関わりました。技術出身の自分が、ビジネスサイドのトップを担うことで、事業とテクノロジーの両面で組織に貢献できるという実感を得ました。 その結果、私はエンジニアリングに加え、プロダクトや組織づくりにも深く関わるCTO機能に特化したサービス「CaaS(CTO as a Service)」を展開する会社を起業しました。
AIタレントフォースにCTOとしてジョインした経緯は?
当社との出会いは、小島CEOと朝戸COOとのご縁から始まりました。当初は「CaaS」事業のクライアントとしての関係で、AIエンジニアの育成とAES(AIエンジニアリングサービス)という新たな事業づくりを組織開発と技術面から支援するために、業務委託のCTOとして参画。一緒に事業を形にしていく中で、二人に対する深いリスペクトが芽生え、やがて取締役として正式にジョインしました。現在も、CaaS事業会社の代表を兼務しながら、当社の成長に貢献しています。 当社の事業は元々、フリーランスのAI人材と企業をマッチングするサービスとしてスタートしました。しかし、機密性の高い企業データを扱うAIプロジェクトにおいては、フリーランスという立場への不安感から企業側が発注に慎重になるケースが多く、サービスとしての成長に限界がありました。そこで、人材育成の観点も踏まえ、自社で正社員として雇用したエンジニアをクライアント企業に派遣する「AES(AIエンジニアリングサービス)」という仕組みが誕生。企業に安心感をもたらしつつ、AI人材の育成と活躍を促進する、新たな事業モデルとなっています。
綺麗にキャリアを積み上げてきた印象がありますが、キャリア構築のコツは?
私のキャリアは、10年ごとにステップアップしていく意識のもとで築いてきました。きっかけは、大学ラグビー部のOBであり、経営者として成功された先輩の言葉。「大学生活の4年間を、社会人になったら『1年=10年』と置き換えてキャリアを設計しなさい」というアドバイスが、今も私の指針になっています。 最初の10年、つまり20代は失敗を恐れず挑戦する時期。経験値を積むための期間と割り切って、がむしゃらに行動してきました。30代は“後輩ができる2年生”。マネージャーやリーダーといった役職を経験しながら、模範となる姿勢と責任感を学びます。40代は“最終学年手前の3年生”。いよいよ事業や組織を動かす立場として、執行責任と意思決定の重みを肌で感じるようになりました。 そして50代、キャリアにおける“最終学年”を迎えようとしている今、私は集大成として当社のCTOを務めています。ITエンジニアがAI領域にスムーズに転換し、次の産業革命の担い手となるよう支援していきたい。これからは、未来の人材を育てること、社会全体に貢献することに力を注いでいきます。