起業までのご経歴を教えてください。
高校生までは野球部で、大学生になってからアメフトに転向。選手として4年間競技に打ち込みました。そして、社会人になってからも実業団のチームで1年間アメフトの選手として活動しました。残念ながら、アスリートとしての道は、そこで閉ざされてしまい、その後は銀行員になりました。ただ、銀行員の仕事は自分には合わず、違う道を求めて転職。この頃からスポーツビジネスに取り組みたいという思いはあったものの、起業や経営に関してノウハウを持っていなかったので、ベンチャーの人材派遣会社に就職し、そこでビジネスを学ぶことにしたのです。 職種は営業職で、コンサルファームを中心に、人材のマッチングを行いました。今の会社のITソリューション事業のベースは、この時の経験がもとになっています。この会社には3年半ほどお世話になり、その後、株式会社& athを設立し、今に至ります。
スポーツビジネスに取り組みたいという思ったきっかけは?
それにはいくつかの理由があります。でも、一番大きいのは父の影響でしょう。 既に他界している父は、事業家でした。羽振りのいい時期もありましたが、晩年は苦労の連続でした。そんな父は尊敬の対象であり、壁とまでは言いませんが、一枚膜があるような近寄りがたさがありました。 父は、スポーツが好きで、観戦すればいつも感動して泣いてしまうような、人のよい一面もありました。ただどうしてそれほどスポーツが好きなのかは、よく分かりませんでした。 そこで、私が銀行員を辞めた時、腹を割って飲む機会があったので、聞いてみたんです。すると、「スポーツは嘘がない」と一言。仕事で信頼していた部下から手痛い裏切りにあっても、「あいつも苦労しているから」と一切咎めなかった父。その言葉の重みは、計り知れません。そんな父にとってかけがえのないスポーツに関わっていきたいと、その時強く思ったんです。
起業するまでの経緯を教えてください
前職のコンサルファームは、新規事業開拓にも積極的で、新たに子会社を出して、その社長として事業に取り組むチャンスもありました。そこで、今の事業の原型となる、アスリートのセカンドキャリア支援を企画し、代表に掛け合いました。 しかし、持ち株率等の条件面で折り合いが付かず、結果的には断念。実は、この時一緒に取り組んでくれたのが、当社ナンバー2の下島です。下島からは、「独立して起業しましょう」と相当焚き付けられましたね。しかし、父の背中を見て事業経営の厳しさを知っていたため、なかなか踏ん切りが付きませんでした。 そのような中、組織改編があり、やりがいを持っていたITコンサルの仕事から離れることに。そのタイミングで、改めて自分のキャリアを見つめ直しました。その結果、「やはりアスリートのセカンドキャリア支援がやりたい」と思ったんです。今がチャレンジの時だと判断し、独立に至りました。
事業について、将来の展望を教えてください
アスリートのセカンドキャリア支援は、社会的なニーズが高いと考えています。将来的には上場を視野に、事業を成長させていきたいと考えています。そして、大きな目標としては、自社によるアメフトのスタジアム経営です。日本のアメフトにはプロリーグがないので、こちらも設立し、リーグ運営にも乗り出したいと思っています。 海外と比較し、日本のスポーツビジネスの市場は未成熟です。プロ野球でさえも、アメリカのメジャーリーグと比較すると、市場規模は1/3程度と言われます。まして、プロ野球以外のスポーツとなると、一部を除いてかなり厳しい状況と言えるでしょう。アメフトは、選手として関わった者として、是非市場をつくることに貢献したいと考えています。 スポーツが、人を感動させる力はすごいと思います。多くの人の様々な人生に影響を与えます。たがらこそ、スポーツを支えるスポーツビジネスはますます求められていくと確信しています。
転職を考えている方に、メッセージをお願いします。
採用面談で、様々な方とお話しする中で思うのは、自分の今いる環境や、自分自身の限界を勝手に決めている人が多いということです。発言の端々に、どこか「無理だ感」がある。それは仕方ないことかもしれません。新しいことに挑戦する怖さや不安は、むちゃくちゃ理解できます。私自身も、起業に当たっては、随分二の足を踏みんだからです。 でも、「自分の望む未来は、ここにない。決まり切った人生を変えよう」と思ってチャレンジし、今に続いています。もし、新しい一歩を踏み出そうとしているなら、少なくとも当社はドンと受け止めます。気にせず飛び込んで来てほしいと思います。 社内に上司・部下の壁はありません。フラットな環境なので、安心してどんどん自分の素を出してください。何もないところから、仲間になって、大きいことを成し遂げましょう。それぞれのペースで、上を目指して歩いていけたらいいと思っています!