ご略歴をお教えください。
広島のごく普通の家庭に生まれ育ち、高校は地元の進学校に入学したものの、同じ高校で2度退学処分を受けるという有り様でした。17歳で大検は取得したものの、普通の大学に行っても面白くないと、「東京に行って200万円貯め、アメリカに留学しよう」と決めました。一人で働いて生きる力を身に付けたいと思ったからです。 計画どおり渡米してコミュニティカレッジに入りました。帰国後はメディアで見つけたフランチャイズビジネスのコンサルティング会社に入社しましたが、周囲の学力優秀・仕事熱心な社員を前に挫折感を味わいます。 22歳で飲食業に転じると、赤字店を任せてもらい黒字店へと変革します。すると、さらに何かにチャレンジしたくなり、24歳で初の起業。表参道にハンバーガー店を出したものの、3年で潰し2度目の挫折を味わうことに。その後、再度の起業を思い立ち、ベトナムへと渡りました。 ベトナムでは、飲食業やメディア業、オフショア開発などいろいろな事業を手掛けることになりました。そこで、GMOランシステムという、GMOグループのオフショア開発会社と出会い、現在までパートナーシップを結んで一緒にビジネスをしています。 ベトナムで事業を軌道に乗せることができ、8年ほど手掛けたところで、ベトナム進出を検討する日本企業から買収のオファーを受けました。次のステップに進むちょうどいいタイミングだと感じ、オファーに応じて帰国します。そこで、手放したオフショア開発会社の責任者から日本での案件獲得を要請されました。これを機に、2020年3月「日本企業に海外エンジニアをプラス(実装)する」というコンセプトのブリッジSE会社のエンジニアプラスを設立します。 しかしながら、それまでSIerから受動的に仕事を請けていれば良かったところから、自らがSIerとなってエンドユーザーを獲得することに苦しみ、迷走します。そんな中で、顧客の真のニーズに応えることが必須であり、その手段として新規事業開発支援にビジネスチャンスを見出したのです(企業詳細タブ参照)。 こうして現在のリモートワーククラウドに至ることができました。
リモートワーククラウドに社名を変え、「リモートワークを、もっと自由に」とのビジョンを掲げた背景とは?
300年前の世界では90%が農民で、その人たちが今の人たちの仕事ぶりを見たら「遊んでばかりいないでもっと働け!」と思うでしょう。一方、300年後の世界は、テレパシー的なコミュニケーションができるようになっていて、もう物理的な制約はなくなっていると思います。仕事の下処理もAIが全部やっている。人口が減少していても、一人当たりの生産性は爆上がりのはずです。 私は、そんな未来とのギャップフィットに非常に興味があります。当社は、そのギャップを縮める最先端にいたいとの思いがあります。
早川さんの仕事観をお聞かせください。
高校を2回も退学したほど人生に迷走し、ドストエフスキーとか寺山修司とかを読み耽っていた時期がありました。そんな頃、影響を受けていたある人と直接話す機会があり、その人から「自分は広大な宇宙のチリに過ぎない」という話を聞いて感化されたのです。そんなチリに過ぎない自分は何のために生きるのか。その時から、現在の当社のバリューの1番目である「Social Thinking 高い視座と思いやりを持つ」ということを考えながら生きてきました。 “働く”とは、“傍を楽にする”という意味だとよく言われます。そのとおりで、自分は人のために生きることが宿命であるとの考えのもと、人のために何をするのかを考え、実行することが大事だと思っています。
社員に対して、御社でどんな人生を過ごしてほしいかの思いをお聞かせください。
新規事業開発支援を手掛けている当社で、刺激的なコンサルティング/SIメンバーに囲まれながら、“0 ⇒ 1”ができる人材になってほしいと思っています。あるいは、そんな起業家の参謀として実務を仕切る人材でもいい。起業家一人では、やれることに限界があるからです。いずれにおいても、人に役立つ事業を生み育てるようになってほしいと思います。 そして豊かになって家庭を持ち、できれば子どももたくさん授かってほしい。少子化の世の中、大きな貢献となるからです。
求職者にメッセージをお願いいたします。
当社での仕事は基本的に楽しいと思います。大手でくすぶっているぐらいなら、ぜひ当社に来てほしいです!やる気がある方なら採用する可能性は高いですが、採用できなくてもどうすれば楽しく仕事ができるか、仕事の取り組み方などのお話しであればできると思いますので。 特に気負いせずに、気軽な気持ちでご応募いただけたら嬉しいです!