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公冠株式会社

  • IT/Web・通信・インターネット系
  • マスコミ・エンターテイメント・メディア系

企画力とデザイン力、安定した経営基盤を強みに成長し続けるWEB制作会社

自社サービス製品あり

企業について

公冠株式会社は、大阪市のWeb制作会社だ。1913年の創業以来100年近く続いたアパレル事業から2002年に転じ、その後も安定感のある経営を続けている優良企業である。
2015年7月現在の社員数は10名未満だが、クライアントは、上場企業を含む大手企業や中堅企業が中心だ。各クライアントとの信頼関係は深く、そのほとんどが直取引である。一部、代理店を通した案件も、プロジェクトを進める上でのクライアントとのコミュニケーションはダイレクトに行っている。各プロジェクトには企画段階から参加し、コンセプトワーク、デザイン、コーディング、更新に至るまで一貫して携わる。

Web制作会社をシステム系とデザイン系に大別するとすれば、同社はデザイン系のWeb制作会社である。提案力とフロントエンドのデザインおよびコーディング力を自社のコアスキルと明確に位置づけ、ぶれることはない。ウェブエンジニアリングの技術を徹底的に磨き、クライアントの目的や狙いを的確に捉えたコンセプトワークに基づいてエンドユーザーにとって使いやすいインターフェイスを実現する。それが集客力などの結果に着実に結びつくことで、クライアントの信頼を獲得している。

代表取締役・高井宗一郎氏は語る。

「弊社が大切にしていることは、お客様のリクエストのその先を考えることです。クライアントが欲しいのはWebサイトではありません。それはドリルを買う人の目的はドリルを買うことではなく穴をあけることであることと同様です。Webサイトを作る目的は様々です。その目的を聞きだして、想像して、そのための方法をWebサイトという道具を使って実現していくことが私たちのミッションです」(高井氏)

同社にはアウトバウンド型の営業部門はない。多くのクライアントがWeb制作に関する何らかの問題を抱え、紹介や口コミを通じて同社にたどり着く。他の制作会社で対応しきれなかった案件が多いので、同社が携わる案件は決して楽な案件ばかりでないことは確かだ。しかし、それまでどんなにWebサイト制作で苦労し続けてきたクライアント企業でも、同社が携わり始めれば安定し始める。コーポレートサイトやブランドサイトなど永続的に運用するサイトの場合は、一度受注して納品すれば、3~4年ごとに発生するフルリニューアル案件も同社が継続的に受注することとなる。さらに、キャンペーンやイベントなどの単発で運用するような小規模サイトも含め、ありとあらゆるWebサイトの制作依頼へと取引の幅は広がっていく。

その一方で、先端Web技術のキャッチアップにもぬかりはない。トレンドを注視し続け、システム開発会社との連携によって変化の激しい技術にも、クライアントの持つ課題に応じて柔軟に対応する。近年ではデジタルサイネージやスマートフォンアプリなど、Webサイトにとどまらない、企業で発生する社内外のコミュニケーション全体へとサポート範囲は広がっている。デジタルサイネージは社内コミュニケーションの手法として同社が提案したものが採用され、それが後に自社プロダクトへとつながった。スマートフォンアプリの開発には、アパレル企業向けの展示会における受注アプリ、リゾート開発会社に対するビーコンを使った観光案内アプリなどの実績がある。

Web制作事業を本格化して以降、クライアント数自体は劇的には増えていないが、1社あたりの案件数増加と並行して案件の質と単価が高まったことで、同社のWeb制作事業は拡大し続けている状況である。

2018年現在、105年目を迎えた公冠だが、商標の歴史は更に250年前へと遡る事が出来る。元々は奈良県で大和絣の製造・販売を行い、その商標に「公冠」とつけた。「公」は「一般」、「冠」は「品質」を差す。一般の人に、最高の品質を提供する。それが世の中の役に立ちながら、長く事業を継続できる秘訣であるという想いが、「公冠」という商標には込められているのである。デザイン系といっても一部の人の為のとがったデザインを追うのではなく、誰にとっても使いやすい標準的なインターフェイスを追求する現在の制作思想は、250年以上前の事業思想を受け継いだものだ。

同社が現在Web制作事業に取り組んでいるのも、脈々と受け継がれてきた起業家精神の賜物である。大和絣事業をやめて大阪市内で事業を起こしたのが1913年。当時、大和絣の事業はまだまだ利益を生み出す事業だった。だが、時代は大正。一般庶民の生活も確実に西洋化が進み、絣を始めとする着物も遠い将来には衰退することが予測された。「夕陽の中に沈んでいくような商売はしたくない」。現公冠社の創業者はそう考えて、28歳の時に大阪でニット業をスタートさせたのである。当時、ニットは新しくて、珍しいものだった。以降、同社は世代交代のたびに形態を変えながら持続的な発展を遂げてきたのである。

高井氏は、大阪における創業から4代目にあたる。高井氏入社当時、同社が営んでいたのはアパレル業だった。大阪市の現在地に本社、京都に2500坪の工場、箕面に500坪の物流倉庫を置き、グループ会社を含めて100名を超える規模だった。またアメリカの有名ブランドの日本における商標権を所有、有名百貨店にサブライセンスを卸していた。高井氏は2000年に事業を売却し、2001年に自社ビルを活用した不動産賃貸事業をスタートする。

「多くの人が不安定だと思いこんでいる変化の中にこそ真の安定があります。弊社が100年以上に渡って事業を継続できたのは、常識や慣習に囚われることなく、常に自らを革新し続けてきた結果に他なりません。当時アパレル業界では生産拠点が海外に逃れ、小売りでは巨大なASPチェーンが台頭して価格破壊がおきていました。そのような状況で、アパレル業界に夢を感じなくなっていました。大阪に出てきた当時の創業者が生きていたら、次のビジネスをやろうと言うのではないか。今が潮時だと感じ、事業譲渡を決定しました」(高井氏)

その一方で、コンピューターが個人的に好きだった高井氏は、Web制作のスキルを身につけて自社のWebサイトを制作。その経緯を知った知人から、Web制作の依頼を受けるようになる。そして紹介が紹介を呼んで客層が広がり、Web制作を本格的に事業化するに至ったのである。不動産賃貸事業は順調で、それだけで将来に対する不安はなかった。その中でWeb制作事業の本格化に乗り出した背景にあったのは、インターネットの底知れぬ可能性に対する関心だった。

「繊維事業とは違い、IT事業は一時的なものだとは思えませんでした。過去の産業革命は100年ぐらいの期間を経て完成しています。IoTを視野に入れれば、IT革命もそれぐらいの期間はかかるでしょう。今やめるのはもったいないと考えました」(高井氏)

事業化にあたり自社のコア技術と位置付けたのが、企画力とWebサイトのフロントエンドのデザイン力である。同社がこだわるのは、クライアントのニーズを満たすデザインではなく、エンドユーザーのウォンツを掻き立てるデザインだ。クライアントの目的を達成する為に必要なのは、スクロールしたくなる設計とデザイン。それを実現するために必要な技術を社内に蓄積してきた。現在の公冠社の強みの1つであるデザイン力は、そのような考え方をベースに形成されたのである。

今後の事業展開の方向性として高井氏が睨むのは、ウェブエンジニアリングの強みを活かせる分野だ。その一つがデジタルサイネージ。すでに自社プロダクトを開発し、パートナー企業との連携で販売に乗り出しており、今後も注力していく考えだ。さらにその先には、IoTの動きも見据えるが、現在の同社にとって最大の課題は、そういった長期的なビジョンの実現へとつながる組織基盤を整備することである。
グループ全体で100名以上の事業を売却した経緯を持つ高井氏は、Web制作事業においては、なるべく決まり事のないフラットな会社運営を行ってきた。だが、IT業界の発展の可能性と自社のWeb制作事業の成長ぶりから、10年後、20年後の事業承継を見据えた本格的な組織作りに着手する必要が生まれてきた。現在、既存クライアントからのオーダーは日々増え続けており、社内のリソースでは追いつかない状況だ。まずはその状況を克服するとともに、マネジメント層、リーダー層の育成に努めながら、事業の継続的な発展を目指す計画である。

Web制作会社としての同社の魅力は、クライアントとダイレクトに繋がり、企画段階からプロジェクトに携われることである。代理店から降りてきた要件を満たすための作業とは異なる。クリエイティビティを発揮したい、あるいは磨いていきたいという人材にとっては嬉しい環境だ。しかも、同社は不動産賃貸事業による盤石な経営基盤を備えているため、クライアントとのコミュニケーションにおいては健全性を保つことができる。「多少のことでは潰れない」という心強さは、クライアントの機嫌を損ねることを恐れて本当に伝えるべきことが口に出せないというジレンマから解放してくれる。つまり制作者としての責任を全うするために、本当にやるべき仕事に集中できる環境が揃っているのだ。

同社が社員に求める条件は3つ。1つ目は仕事を楽しめることだ。基本的に仕事は楽しいものではない。だが、それを前提に働くことは、本人も含めて、誰の幸福にも繋がらない。放っておけば楽しくない仕事に対して、自分も周りも楽しく働けるよう努めることが出来る人材を同社は求めている。
2つ目は、自分事としてとらえることが出来ることだ。チームのミッションやクライアントのミッションなどを自分事として取り組み、自ら中心的な役割を買って出ることが出来る人材を求める。30名ぐらいの規模までは、どのようなポジションにいても、そのような意識で取り組める人材の集合体でなければ、事業を継続することはままならないだろう。
3つ目は、やりがいを見つけられること。具体策がなくても良い。例えば、仕事にやりがいを持つことが幸福な人生に繋がると考えられるだけで十分だ。また、仕事だけではなく、趣味を一生懸命追求できるなど、何事に対してもやりがいを見つけて取り組めることが、個人だけではなく、組織の力にもつながる。

「世の中で好きなことを仕事に出来る人は数パーセントもいません。その中でWeb制作に携わる人は、少なくともクリエイティブやホームページ、あるいはITに関心を持っている人のはずです。何かを好きであることには努力が伴いますが、その観点からすれば、Web制作に携わる人は、仕事を好きになるための努力は一般に比べて少なくて済むはずです。楽しい仕事と、仕事を楽しむことは違いますが、公冠にはやりたいことが出来る基盤はあると自負しています。一緒に仕事を楽しめる環境を作り、充実した人生を創造しましょう」(高井氏)

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インタビュー

公冠株式会社のインタビュー写真
代表取締役 高井宗一郎氏 1964年生まれ。奈良県大和高田市出身。1987年3月、関西大学工学部を卒業すると同時にアパレル業を営む公冠株式会社へ入社。1998年、代表取締役に就任。2000年、アパレル事業を譲渡。2001年には不動産賃貸事業を、翌2002年にはWebサイト制作事業を開始し現在に至る。Web制作の技術はデジタルハリウッド大阪校に通い身につけたもの。バンド活動(ドラム)、車(ポルシェ、アウディ、ベンツ)、ゴルフ、ヨガなど多趣味。

── 御社の強みについてお話ください。

Webサイトの制作面では、現場のコンセプトワークとデザイン力、コーディング技術では他社に負けないと自負しています。特にコンセプトワークについては私自身がアパレル出身ということもあり、一人でやっている時から大事にしてきました。クライアントの要件をきちんと聞きだして提案につなげる。その工程を大事にしてきたことが、持続的な発展につながったと自負しています。
その一方で、私が経営者として注力しているのが、クライアント企業トップとの関係構築です。弊社と同クラスのWebサイト制作会社ではあまり力を入れませんが、弊社では私が、大手を含めたクライアントの社長や会長と家... 続きを読む

企業情報

会社名

公冠株式会社

業界

IT/Web・通信・インターネット系 > インターネット/Webサービス・ASP

マスコミ・エンターテイメント・メディア系 > 広告・デザイン・イベント

企業の特徴
自社サービス製品あり
資本金

3240万円(株主資本5億1536万円)

売上(3年分)

201511億4344万円

201611億5627万円

201711億6285万円

設立年月

1950年05月

代表者氏名

高井宗一郎

事業内容

【プロモーション施策の業務全般】
・プロデュース
・マーケティング
・Webサイト企画制作業務
・システム開発
・アプリ開発
・保守運用

株式公開(証券取引所)

非上場

主要取引先

パナソニック株式会社/ヤンマーエンジニアリング株式会社/株式会社アド近鉄/エスアールジータカミヤ株式会社/株式会社アイ・ユー・ケイ/株式会社オービックビジネスコンサルタント/株式会社内田洋行/他

従業員数

12人

平均年齢

35.9歳

本社住所

大阪市北区西天満3丁目4-15 公冠ビル3F

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