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株式会社 FoundingBaseのインタビュー

株式会社 FoundingBase

“「自由」をUpdateする”というミッションの下、地方の社会課題解決に挑戦する”地方共創”ベンチャー

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佐々木 喬志
代表取締役 CEO(Chief Executive Officer)/林 賢司
代表取締役 CCO(Chief Community Officer)

まずはじめに、おふたりの学生時代について教えてください。

<林>
大学1年時は「環境」をテーマにした学生団体で活動してましたね。
そもそも地球という有限な資源のもとで生活しているってことを認識する良い機会になりました。
ただ、1年目が終わるころ、もう少し実践的な活動に取り組みたいという想いがあって。
そんな中、細田純平(現 FoundingBaseデザイン顧問)と出会って、プログラミングやコーディングに没頭していきました。
当時の慶應義塾大学の女子サッカー部のHPとか、企業からの受託制作を主にやってましたね。インターネットというツールを使ってお客さんや自分たちの想いを世に届ける。その体験を通じて、学生ながらももっともっと社会と繋がりたいと強烈に思うようになりました。
大学3年から始まった、ゼミ活動が大きな転機になったと思います。
僕は、コミュニティ論を研究するゼミを選択しました。これまでの活動を通して、社会には様々なコミュニティが存在していて、コミュニティによってそこに集う人たちもバラバラ。次第にコミュニティに対する興味関心が高まっていたんですよね。
僕が地方と初めて関わったのは、このゼミ活動とweb制作活動を通してでした。
大学1年のときに在籍していた学生団体の先輩が、福島県会津若松の食材をつかったイベントを企画しており、その中でつかうプロダクトや広報PR用のデザインを依頼されたのがきっかけです。
そのプロジェクトを通して、初めて地方の魅力に触れました。
実際に現地にも足を運び、今では業界では有名な陶芸家の方に出会い、彼の生き方や思想、そして歴史ある生活文化が色濃く反映されたプロダクトを目の当たりにし、シンプルに「こんな生き方、めっちゃかっこいい!」と感動したのを覚えています。
一方で、地方の現実も知りました。職人さんをはじめ、なかなか地方で十分な生計を立てられている人のほうが圧倒的に少ない。地方の文化や歴史、そこで活動している人たちの思想や生き方、そんな魅力を再開発していきたいと強く思ったプロジェクトでした。
そして、イベントやツアーを通して学んだことなどを発表する報告会で新たなご縁があって、大学4年からは長野県の白馬村で活動することになりました。
大学3年の会津若松での活動から、地域にどっぷりつかることになってますね。

<佐々木>
僕は大学3年時に㈱デュナミス(現 ワカツク)でインターンをしていました。
それまでは経営者がよく来るBARでアルバイトをしていて、経営者の方々とは学生ながらもよくお話しさせてもらっていて。経営者という存在、起業した人のその背景や信念みたいなものにとても惹かれていました。
たままたデュナミスの”社長の右腕”みたいな募集を発見し、「知る」だけでなく「一緒に働いてみたい」と思って応募したのがきっかけです。
そして、就活でジェイブレインという会社に出会いました。
最終面接で、「地域で事業をやっている人には、立派な信念がある。その信念を形にする術を知らないだけであり、知らないからこそ商店街もどんどんシャッター通りになっていってしまっている。その術を伝え、実践できる人材になりたいです」と想いをぶつけたところ、「ボランティアでやればいいじゃん」と一蹴されました。その後の対話も、ほとんどボロカス言われて終わった記憶ですね。
今となっては自分のためを想ってストレートにいろんな指摘をしてもらえて感謝してますが、当時は悔しさしかなくて。泣きながら会議室を出ていった記憶があります。
面接からの帰り道、ふと「あ、最後ちゃんと挨拶してないや」と思い立ち、オフィスに戻りノックもせず、「ありがとうございました!」とカラ元気いっぱいで伝えましたね。
それで面白いと思ってもらったのか、数日後に連絡をいただき、再面接になりました。
そのときは「本当にできるのか?覚悟はあるのか?」と問われ、
「”できるできない”ではない、”やるか、やらないか”だと思う。だからやらせてほしい。」と伝え続けましたね。結果として、社長付インターンとして経験を積ませてもらいました。
経営状況の悪化もあり、結果的に僕はリクルート(当時のリクルートHRマーケティング)に入社しましたが、学生ながらに非常に濃い時間を過ごさせてもらいました。辛い記憶しかありませんが(笑)

お二人が出会ったきっかけは何だったんですか?

<佐々木>
共通の知人を介した、同世代の飲み会で出会ったのが最初ですね。
15人くらい居たんですが、たまたま目の前に座ったのが賢司で。
そう考えると、席順が違ってたらFoundingBaseは誕生してないかもしれないね(笑)

<林>
ほんとだよね(笑)

ー最初のお互いの印象はどうでしたか?

<林>
就職していない僕からしたら、”できるビジネスマン”って感じだった。
ビシッとスーツ着てたし(笑)
当時佐々木ががやっていた中途人材紹介や留学生の就職支援の事業を聞きながら、「今の人材紹介のモデルは、単なる送客ビジネスでしかない。その仕組みをあるべき形に変えたい。」って熱く語ってたのは今でも覚えてますね。
その話しから、「不確実性の高い世の中において企業が求めている人材は、これまでの教育体系からはなかなか出てこない」とか。
世の中に対して、世の中の仕組みに対して、強烈な危機感を持っていると感じたかな。

<佐々木>
とりあえず元気にグイグイくるなぁ〜ってのが最初の印象(笑)
初対面の人にいきなり全てをさらけ出す機会ってこれまで多くなかったんだけど、賢司には「ちゃんと自分の内面まで話さなきゃ」って思わせる何かがあった。
話しててテンションも合うし、なんか一緒に仕事したいと思ったね。

ーその飲み会の後はどうなったんですか?

<佐々木>
2ヶ月後くらいに、「あるプロジェクトで協働できないか?」って提案を持っていきました。提案書もつくって、プレゼンして。
で、見事に断られた!笑

でも、なんかきっぱり断られて「やっぱ一緒に仕事したいなぁ〜」ってあらためて思ったね。どっちつかずの返答する人っているじゃないですか。そのあとの関係性も考えて。
でも、賢司はやっぱり真っ直ぐだったし、あらためて信用できると思ったよ。

教育とか育成の話しで、「良い意味で理不尽な環境」って必要だなと思っていて。
飲み会のときにも、そんな話しをサラッとしてたよね?

<賢司>
そうそう。「理不尽だったら地方じゃん!」とかね(笑)
地方に熱意ある若者はもっともっと必要だと思っていたし、そういう子たちを地方に連れて行ったら面白いよね、って。

<佐々木>
一緒にプロジェクトやってみよう!ってなったのも、結局はその話しの延長だったよね。

<賢司>
そうだね。今でもお世話になっている宮内さん(島根県津和野町の役場職員)と僕がつながって、対話してたのがきっかけだね。
最初は全く別の案件でつながったんだけど、話していくうちに「やっぱり若者が必要だよね」って。
その話しが終わったあと、すぐに佐々木に電話したのは覚えている。

<佐々木>
そうだよね。それで宮内さんのもとに一緒に行って、いろいろと提案させてもらったね。
「優秀な若者を地方に連れて行くのであれば、裁量もセットで渡さないとダメだ」とか。

そっから生まれたのが、『Innovation for JAPAN』だよね。
それが2011年9月くらいかな。

<賢司>
11月に津和野の「町長を囲む会」をやってね。
9月に決まって、死にものぐるいで準備したなぁ。色んな若者に声かけて。
その会に、今は津和野町と吉備中央町のManagerを担ってもらっている坂和も参加してくれて。大学の後輩だったし、「とりあえず来い!」と(笑)


<佐々木>
で、翌年の2012年4月から津和野町で町長付プロジェクトが始まった。
坂和を含めて4人の若者が実際に津和野に入り、それぞれ様々な活動に取り組んでいったよね。

<林>
僕は相変わらず就職せずに地方プロジェクトに没頭していて、お金もなかった。Innovation for JAPANの取り組みも売上をあげるモデルではなかったし、この取り組みを続けるためにもアショカ・ジャパンのスタッフとして働き始めたのもこの頃。
結果的に、FoundingBase創業と同時に僕も津和野に移住したね。
FoundingBaseでの活動が認められ、2017年に日本人6人目となるアショカフェローにも選出されました。

株式会社FoundingBaseを法人化し変わったことはありますか?

<佐々木>
初年度はもともとInnovation for JAPANから関わっていた津和野町からスタートしたんだけど、色んなところに取り上げてもらったおかげもあって、他の自治体からもお声がけいただく機会は増えたね。2014年10月頃から今でもお取引きさせてもらっている吉備中央町との取り組みも始まったしね。

<林>
僕はなんたって津和野への移住よね(笑)
アショカスタッフも辞めて、本格的に津和野にどっぷり入っていった。
月に数回とかで地域に入っているうちは、その地の良い面ばかり見えるけど、実際に移住してみると色んな面が見えてきて。良くも悪くも。
最初は多方面にお伺いをたてながら良い顔してやってたけど、結構ストレスになってきたのは事実としてある。
金髪にしたのは、ある意味その象徴よね(笑)

<佐々木>
僕はとりあえずめちゃめちゃ忙しかった記憶しかない。
吉備中央町とあわせて、和気町との取り組みも始まったんだよね。もともとは東京を拠点として採用関連の業務を主にやってたわけだけど。面談とか、シゴト会議を中心としたイベントとか。そこで出会った学生の方々を集めて、地域について考えるMeetupとかもやってた。
そこから、吉備中央町や和気町との往復が多くなってきて。当時は東京に僕以外で1人しかいなかったから、大変だった。

<林>
たしかに、この年からKeyManとして関わる人は一気に増えたね。
※KeyMan:FoundingBaseで採用支援し、地域おこし協力隊として現地で活動を共にするMember。

色んな人が関わってくれるようになって、取引先も増えていって。
津和野だけで思考を完結させていたところに、色んな選択肢が増えていった。もの凄くワクワクしたのは覚えているけど、一方で、僕ら経営陣のマネジメントの未熟さは大きかったかな。想いを実現する術を知らなかった。武器を持っていなかった。勢いで、だましだましやってた感じだね。

ーその後、2015年はどうでした?

<佐々木>
正直、当時の「学生を地域に送り込む」というモデルの限界を感じた年だった。
津和野での成功事例をもとに、吉備中央町や和気町と広がって、2015年も幾つもの自治体からお声がけいただけて。
一方で、冷静になって考えると、自治体からの期待値も大きくなってきて、とてもじゃないけどビジネス経験の無い学生だけだと求められている成果を返せない。
その不安が、現実のものとなったのがこの年。
正直、恥ずかしながら取引先からの不満が顕著になって、謝罪に行く回数も増えて。今となっても、申し訳なかったなと思うし、今だったら全然違う価値を返せていたなって思う。

<林>
ゴールを明確に決めていない。チャレンジする、という姿勢に対する認識の違い。結果にコミットする意志の違い。そして、行動と結果が全く結びつかない状態が続くからこその、僕たちと現場KeyMan双方での葛藤。
いろんな「認識の相違」がFoundingBase内で起こってきた年だね。

<佐々木>
とはいえ、我々はベンチャーだと。
組織はカオスだったけど、お声がけいただいた自治体には必ず出向くようにしていたし、取引先数は伸ばすことしか考えていなかった。
正直、焦りしかなかったんだよね。焦燥感にかられていた。
組織はカオスでうまくいっていない。とはいえ、止まることは許されない。
案件を取り続けて、組織の実態を合わせに行くしかないと当時は思っていて。とはいえ、何かを変えないと取引先にも迷惑をかけてしまう。
考え抜いた結論、やっぱり地域で事業を創ることにコミットする組織にしていこうと。

<林>
たしかに、津和野や吉備で幾つかプロジェクトが立ち上がりつつあったものの、当時はまだ地域おこし協力隊の採用と活動支援(マネジメント)を主としてやってたもんね。
面白いことに、この僕らの葛藤と、周囲からの見え方はまた全然違っていて。
自分らはなかなかうまくいかずに焦ってるのに、周りからは「凄いね」って言われることが多かった。
常に認識のギャップは感じながらやってたなぁ。

そこからの転機になったきっかけはなんですか?

<佐々木>
個人的にも、組織的にも転機になったのは豊後高田市との取り組みだと思っている。先方から相談をいただいてから、僕も思いっきり事業づくりに振り切った提案をし続けて。
このあたりから、KeyMan採用においても学生ではなく社会人に優先的にアプローチし始めた感じよね。

2017年くらいからかな。
何となくFoundingBaseの事業の原型が見えてきたのは。豊後高田のビーチリゾートづくりも始まったしね。豊後高田・四万十町・吉備中央町をひたすら車で移動していた記憶が強いわ(笑)

<林>
個人的には、この辺りからうまくいき始めている拠点と、そうでない拠点がはっきり分かれてきた感覚は持ってたかなぁ。

<佐々木>
たしかにね。取引先は順調に増えていったけど、正直、組織状態は一向に改善されていなかった。

<林>
でも、津和野で変化を感じたのはこの年あたりからで。
色んなことがありながらも、何より継続して町にがっつり関わってきたからこそ、津和野町というコミュニティが変化した感覚が持てた年かな。
僕らをきっかけに、各地で色んな事業やプロジェクトが立ち上がって。色んな若者が町に入ってきて、移住者も増えて。僕らが直接関わらなくても各地で色んな取り組みがなされていて。
小さなチャレンジが限りなく生まれて、一つの文化みたいなものが醸成されてきた感じだった。
良いサイクルに入ってきていることがきっかけでもあったんだけど、翌2018年には津和野の責任者を坂和に任せようって話していたのもこの年だったよね。

<佐々木>
そうね。賢司にはいったん東京に戻ってもらって、組織マネジメントにも力を入れていこうぜって話してたね。
実際、賢司が戻った2018年に会社のリブランディングを実行したし。
ロゴも今のものに変えて、HPもリニューアルして。
「個人の価値を最大化して、コミュニティの価値を最大化する」という会社としてのスタンスも明示したのが2018年だよね。

<林>
当時はずっと”個人の意志”や”主体性”みたいなものを大事にしたい、尊重したいって話してたよね。
もちろんそれは今でも変わってないんだけど、振り返ると我々自身が大いに履き違えていたというか(笑)

<佐々木>
いや、ほんとに。
実際、KeyManとして社会人経験のある人たちに入ってもらってたんだけど、なかなか自走に至ることも少なくて。今考えると、そらそうなんだけどね。いきなり地域に飛び込んで、経験したこともない仕事に取り組んでもらうわけなんで。即ワークする人の方が少ないに決まってる。
だけど、当時はそこまで頭が及んでなかった。
「何で自分でやるって決めたことなのに、やりきらないの?」って感情が心の底にはずっとあって。
”意志の尊重”や”主体性”という言葉に甘えて、「任せる」という名の「放置」していただけだった。振り返ると、本当に反省しかない。

<林>
東京拠点メンバーを増やしたのも2018年だったよね。
取引先自治体も増えてきて、採用数や難易度も上がってきて。

<佐々木>
とはいえ、なかなかうまく機能させてあげることができなくて。
この年は、本格的に組織に向き合わないと崩壊してしまうと痛感した年だった。もちろん、自分のマネジメントについてもUpdateしないといけないという危機感とセットで。

<林>
COO的な役割の採用を考え始めたもんね。

<佐々木>
実際のところ、2017年くらいから知人やエージェントには依頼はしていて。
面談もしてたんだけど、なかなかしっくりこなくて。
で、定期的に飲んでた片岡(現 取締役COO)にも色々と相談してたら、結果的に片岡が来てくれることになった(笑)

<林>
僕は2018年10月くらいに初めて会って、色んなダメ出しされた記憶がある(笑)

<佐々木>
この年は、組織に向き合うって決めたからこそ、いったん立ち止まった方がいいと思い直した。
だから、2019年は取引先の拡大はストップする意思決定をして。
組織改善に着手しつつ、既存の拠点内での事業立ち上げに注力しようって決めた。

FoundingBaseのMISSIONはどうやってできたんですか?

<林>
2014年まではノリと勢いで何となだましだましやってきて、2015年から徐々に組織の問題が出てきて。リブランディングして、メッセージ出したりしたけど、結局は解決できてなかったもんね。
良くも悪くも個人主義というか、チーム感もなかなか醸成できなかった。

<佐々木>
「個人の意志を重視した、主体性のある組織づくり」というのはこれからも大切にしていきたいと思ってるけど、一方でさっき言った通り、マネジメントを放置している状態。
だから、”いつまでたっても個人次第”という脆い状態が続いてしまった。

<林>
で、片岡が入ってきて、あらためて自分たちが大事にしてきたこと、していきたいことを整理し始めて。

<佐々木>
3人で何度も話したね。
3-4ヶ月かけて議論を重ねて、自分たちが心底目指したいと思えるMISSIONができた。

<林>
個人の意志を大事にしつつ、チームで動くという考え。
だからこそ、誤解を恐れず「自由」=自らに由ると置いた。
個人の意志を履き違えるなよ、というメッセージ。

<佐々木>
「自由」という言葉を使うかどうかは、めちゃめちゃ議論したよね。
人数が増えても、正しく意図が伝わるのか、誤解されないか。
結局、それは我々経営陣が誰よりも責任を持って「正しく伝わるまで、伝える」と決めて。

<林>
ウチっぽいMISSIONができたよね。
ちなみに、このMISSIONを決める過程で、3人で「何があっても15年は最低でもやろう」って約束もしたね。極寒の北海道で(笑)

ー そこから組織が変わった感はありますか?

<佐々木>
やっぱり、軸が一本通ったのが大きい。大切にしてきたものは変わらなくても「なんで?」ってところに共通認識が持てた。
このMISSIONを軸に、VALUEも策定して。自分にとっても、「求めるべきもの」が明確になったし、メンバーにとっても「求められるもの」がより具体的になったんじゃないかと思ってる。
組織としても一枚岩になれつつあると感じている。

<林>
共通言語ができたのは大きいよね

ー組織の変化は、事業の変化にどう影響していると思いますか?

<林>
中期指針であるVISIONも定めたことによって、事業立ち上げの方向性が明確になった。
このMISSION・VISION・VALUEを言語化するプロセスで、あらためてFoundingBaseの強みも整理できたと思っていて。
まずは、「地域に関わる人を増やす」ということにフォーカスする。
そのために、「その地ならではの感動体験を提供する」ことにこだわる。
これまではそこで止まっていたけど、その後に創りたい世界が繋がった。
だからこそ、今やっている取り組みそのものが、会社としての資産になっている実感がある。


<佐々木>
事業側面においても、色んなチャレンジが増えてきたよね。
求められる役割が明確になって、やるべきことにフォーカスしているから、結果的に個人でも組織でも”できること”が増えた。
現場でそれぞれの行動が変わって、地域に提供できる価値の可能性が大きくなった。
何より、拠点を越えた協働が増えたのはものすごい変化だと思っていて。

MISSION・VISION・VALUEに紐づく各拠点での目標設定、目標を達成するためのアクションプランを立てたことで、点が線になってきた実感はものすごくあるね。
結論、やっぱりMISSIONてすごく大事。
つくることが大事なのではなくて、つくりこむこと。
そして、つくりこんだものを、日々の業務に至るまで線にしていくこと。

いよいよ勝負をかけられる状態になってきたと思うし、第二創業というフェーズだと思うし、ほんとに今はワクワクしてる。

<林>
未熟だけれど、間違いなく地域に提供できる価値は大きくなってきたよね。
そこだけは自信をもって言える。

<佐々木>
ほんとに勝負の第二創業期だと捉えているし、だからこそ最も面白いフェーズだとも思う。是非、我々と一緒に挑戦したい人は応募していただけたら嬉しいです。

<林>
ほんとに!心の底からお待ちしています!

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