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株式会社 スタイリィのインタビュー

株式会社 スタイリィ

まちの顔をつくるアプリ「じぶん仲介」を展開するITスタートアップ

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代表取締役社長 中村 岳嗣
1975年生まれ。東京大学中退。プリンストン大学コンピューターサイエンス学部卒。ブーズ・アレン・アンド・ハミルトン社を経て、ゴールドマン・サックス証券会社アジア副会長補佐役、後に株式運用部勤務。多岐に渡る投資分野に携わり、起業前は香港最大手の投資顧問会社でファンドマネジャーを勤める。2015年3月、共同創業者として株式会社スタイリィを設立。

創業メンバーとは長い付き合いだそうですね。バックグラウンドを教えてください

スタイリィは共同創業という形を取っており、私のほか、CTOの林と社外取締役をしてくれている大杉の3人が創業者です。中高の同級生である林とは創業時点で26年来、大学の先輩にあたる大杉とも17年来の付き合いですが、ほどよい緊張感を保ちつつ、大きなメリットを感じながら仕事をしています。

実は親の仕事の都合で4歳から7歳ころまでをアメリカで過ごしました。
小学生のときに地元の京都に帰ってきたのですが、当初は馴染むまでに時間がかかりましたね。古風な京都において、女の子と仲良くしたり、積極的に発言をする僕は周りからすると異質な生き物だったのだと思います。

中高一貫校に進んだ僕は、大学受験ではごく自然にアイビーリーグをはじめとするアメリカの大学を志望先に決めていました。東京大学にも入学したのですがそちらは休学し、プリンストンに進学して非常に充実した大学生活を過ごしました。ただ、だんだん日本の動向に疎くなるにつれて卒業後は帰ってきたいと思うように。専攻は当時注目され始めていたコンピューターサイエンスでしたので、エンジニアになる友人は多かったです。当時はまさに「パソコン通信」が「ネット」に切り替わりつつあったタイミング。画面は白黒で、アンドリーセンの立ち上げたネットスケープ社がMozaicをリリースしたときは月面に輝くNのロゴマークにドキドキしましたね。ものすごいコンピューターオタクの先輩がいて、ヘビメタバンドのファンサイトを立ち上げたら世界一のアクセス数を獲得、マイクロソフトに初任給二千万円で就職したなんていう噂も。私はというと、インターンシップ先で「優秀なエンジニアはビジネスを理解していなければいけない」と教えて頂き、戦略系コンサルティング企業を志望することに。少し遠回りして大学院に行き、エンジニアの道を進もうと考えていました。

こうして就職の2年後に大学院を受けたのですが、数ある学校の中、MITメディアラボとスタンフォードのとある研究室という超難関校しか目に入らなかった。身の程知らずにもその2つだけを受けたところ、あっさりと落ちてしまいました(笑)。

計画が狂ったなと思っていたら、ある日ヘッドハンターから電話がありました。その電話で、ゴールドマンサックスに新しく副会長として着任した人のアシスタントの仕事を紹介されたんです。それまで金融には全く縁がなかったので、これはチャンスだと思い、面接を受けたところ運よく合格、アジア副会長補佐役として非常に特殊な仕事をすることになりました。補佐役の名のとおり、仕事内容はプレゼン資料の作成から、アポの取り付け、面談への同行、秘書チームのサポートまで。同行する会議の相手は各国の大使や大臣、企業なら誰もが知っているような世界企業のCEO級ばかりです。アフリカでジェット機に乗り込む前の副会長から指示を受け、イタリアへの着陸までに仕上げておくというようなことは日常茶飯事でしたし、とにかく予定通りに進む仕事がほとんどなく、抜群の危機対応能力と、常に複数のバックアッププランを建てておく習慣が身に付きましたね。実は、後から分かったのですが、僕にかかってきたヘッドハンターの電話はなんと間違い電話で、最初はもっと年上の候補者をあたろうとしていたらしいんです。嘘かホントか、副会長は前任の会社で累計30人以上のアシスタントを雇ったものの、ことごとく脱落して半年以上続いた人がいなかったとか。確かにハードでしたが仕事は面白かったし、私は副会長のお爺さんともウマがあい、気が付いたら丸2年たっていました。

ところでこの時期、当時大学院生だった中高の同級生である林にバイトで入ってもらい、しばらく一緒に働いていました。今スタイリィを一緒にやっている林とは、共に人生初の本格的な荒波に揉まれたという体験をしたことになります。

どのようにしてスタイリィの起業に至ったのでしょうか?

林と一緒に働いていた2000年当時は第一次ITバブル、Facebookやミクシィが流行り始めた時期でした。仕事の傍ら「俺らも似たようなの作ってみようか?」などと話したこともありましたが、リアリティをもって考えるまでには至らず、興味の域を出ませんでしたね。今から思えばどうやればいいかなんて全く分かっていませんでしたが、何年かしてSNSと呼ばれるようになるこれらサービスのその後の驚異的な成長にはただ驚くばかりでした。

副会長補佐役の職務を終え、社内転職で株式運用部に採用されてからは一貫して運用畑を進むことになります。十数年にわたり上場株運用とプライベートエクイティに携わりましたが、金融危機のさなかには職を失ったことも。ハネムーンからの帰国直後にクビを言い渡され、青い顔をして家に帰ったら妻はなんだそんなことかと気にも留めませんでしたね。運用業界ならではの転職も多く、最後は香港の大手運用会社でマネージングディレクターという職にありました。そしてキャリアも脂に乗ってきた2013年ごろ、再びやってきたIT業界の大きな盛り上がりを目にすることに。90年初頭にかけてのいわゆる「バブル時代」、林と共に目撃した2000年の第一次ITバブル、失職をも経験した2007年の不動産バブル、相場のうねりは一定の周期で出現します。日々の仕事を通じ、会社とはなにか、成長とはなにかを突き詰めていた私は、会社が生まれてから本格的に成長するまでには25年はかかると考えるようになっていましたが、同時に、経営者は一般的に60代後半には引退すべきだとも考えていました。もし自分にあてはめるとすれば、そろそろ残り25年のタイミングです。

日本企業は株主還元の名のもとにどんどん現金を吐き出すようになりますが、成長投資は増えず、みずから成長をあきらめる傾向が明らかに。私はとある信託銀行に頼まれて「コーポレートガバナンス」についての連載コラムを執筆中で、これで日本はよいのだろうかという思いを強めていました。そして2014年半ば、いよいよ林と今回のビジネスモデルを思いつくことになるのです。すまいに関するIT活用はまだまだこれからで、IoTやビッグデータの本丸ともいえるこの分野、エンタメやメディアのように2~3年サイクルではなく、腰を据えて巨大マーケットに取り組む事業です。日本の今後30年を直撃する大問題といえば人口減少と高齢化をおいてほかにはなく、この問題の大きさの前にはその他のイシューがかすんで見えるほどです。人口減と東京集中により多くの地方都市が消滅すると言われますが、地域に根差した口コミ流通を促進させ、人々の暮らしをより充実したものとするプラットホームづくりは、うまくいけば日本を救う施策にもなりそうです。業界を調べても、僕らと同じ着眼点を持つ会社は見当たらなかった。さらに、ファンドマネジャーとしても極めてリスクリターンに優れた事業だという判断ができました。これまでずっと他人の事業に投資をし続けてきましたが、今回は自分たちの事業に投資しよう、そう考えて起業することになったんです。

ちなみに実業から運用、とくにエンジェル投資家に転身する例はあるけれど、運用サイドから起業家になった例は珍しいとよく言われます。実際は、1999年に創業されたマネックスグループの松本大木さんがいらっしゃいますし、日本電産の永守会長も起業前はサラリーマンというより投資家だったそうなのですが、確かに近年ではそのような例は少ないのかもしれません。でも、投資の仕事というのは広く世の中のいろんな出来事を分析し、次はどうなるかを考える仕事です。100%こうなると断言することはできませんから確率勝負、一言でいえばリスクを取るのが仕事であり、起業に通ずるものは大変大きいような気がします。

アメリカでの経験は活きていますか?

私は幼少期とプリンストン大学時代の両方をアメリカで過ごしましたが、一方で日本の受験勉強も経験し、コンサルティングと運用の仕事の両方で、常に日本企業と接してきました。意外に聞こえるかもしれませんが、自分の勤務先こそ外資系だったものの、その他の外資系企業についてはほとんど知りません。運用では上場大手企業の経営陣と接する機会に恵まれ、グローバルな視点が大変重要な仕事でした。

ベンチャーの立ち上げでは、そうした世界からは一旦離れ、非常に身近なところから再スタートすることになります。現場仕事に飲み込まれすぎないよう気を付けながら、自分の知らない世界をいちから学ぶわけです。これに関してアメリカでの経験、特にプリンストン大学での生活で培われたと思うのは、飛び込むことを恐れない感覚だと思います。

実はプリンストンにはeating clubと呼ばれるいくつもの社交クラブがあり、大半の生徒は3・4年次をそのどれかのメンバーとして過ごします。誤解を恐れずに言うと、これは欧州制の階級社会に憧れるエリート層が作ったものなんじゃないかと思います。でもまぁ何事も体験しないことには本質は理解できないわけで、私はその中でも一番保守的だとされるクラブを受け、審査に通って加入したのですが、中でも思い出深いのは、そのクラブの食堂には執事さんがいて、食事の際には座る席を指定され、そのときたまたま隣合わせになった人と知的に会話を楽しまなければいけない、というルールでした。もちろん、実態はそんな美しいものではなくインナーサークルの要素が多分にあるのですが、少なくとも体面上は、見知った友達だけで集まることをよしとしない哲学がありました。ここでの経験が一種のトレーニングになっており、分野を越えて人と交わるという意味では今やっている仕事にも直結しており、営業面でも非常に役立っています。

余談ですが、僕は大学までを京都で過ごしたということも大きなポイントだったと思っています。なぜかと言うと、これは良い意味でですが、アメリカ帰りという風にはほぼ見られない。幼少期、帰国直後は目立っちゃって洗礼を受けましたから、ある意味溶け込むということもできるようになった。

関西弁を話すのもそういう雰囲気を出している一つの理由だと思います。その意味では、アメリカと日本のちょうどよいミックス人材になっているのかもしれません。
また、プリンストン大学の卒業生のつながりも役立つことが多いですね。同じ学部卒のジェフ・ベゾスさんと知り合いだったり、はしませんが(笑)、世界中の企業や大学、ベンチャーで働いてる同窓生がおり、たとえ知らない人でも、オンラインの卒業生名簿を通じて連絡をとると結構気軽につながります。個人的な面でも、例えば今週妻がヨーロッパ出張に行っているのですが、卒業生のなかから今向こうに住んでいる人を見つけて連絡すると、すぐ返事をくれて現地で会おうということになったり。そんな人がものすごく活躍している人材だったりするんですよね。ビジネススクールにも同じようなところはあると思いますが、学部のつながりにはもっと、同輩としての親近感があります。日本語でいうところの「卒業生ネットワーク」とはちょっと違う感じです。

メンバーの「副業」を推奨しているとお聞きしました

当社では、メンバーに副業を推奨する「全員社長制」を導入しています。最近は働き方改革の一環で、副業を認める流れも聞かれるようになりましたが、スタイリィの制度はよくあるものとは異なるスタンスです。やってもいいよという副業オッケー制度ではなく、ぜひやってほしい、やらなければダメだという考えに近いです。

チームで働く以上、どうしても自分の役割を意識することはあると思います。例えばエンジニアとしての仕事だったり、マーケターとしての仕事だったり。それはとても重要なことです。しかしそれと共に、各自がサービス全体、会社全体を考える視点も極めて重要です。この2つをバランスよく身に付けるための仕組みが弊社の「全員社長制」です。

全社視点をいやおうなしに体得するベストな方法は自分が社長になってしまうことです。社長だと自分が今手元でやっている仕事以外にもかならず目を向けなければならなくなる。エンジニアであっても、自分の担当外の開発分野やアプリを広めるための施策、あるいはお取引先のことが自然と気になるわけです。

また、人を雇うという経験は大きいように思います。人を雇い、自分が評価をするということの難しさを経験することで身につくことはかなり多いです。

弊社では、副業に2つだけルールを設けています。一つは、やるからには大きな目標を掲げてほしいということ。もう一つは、徹夜してはいけないということです。何をやるのかは皆に宣言してもらい、2つのルールを守って取り組めば、副業のメリットは絶大です。自分が本当に好きなこと、面白いと思うことなら、誰しも休みを惜しんで活き活きと働くと思います。社内ではすでに副業経験が、現場の仕事に役立つ事例が出てきています。

遠方から特急通勤していると聞きましたが、そこにはどんな考えがあるのでしょうか?

子どものころは京都で育ったため、いつも視界の先には山がありました。初めて大文字山に登ったのは2歳の頃、中高時代は毎夏日本アルプスに行きましたね。穂高以外はほとんど登ったんじゃないでしょうか。今はというと、昨年丹沢山塊の麓に引っ越しまして、片道1時間のロマンスカー通勤です。山の見える景色を求めてということもあるのですが、実は「仕事のため」でもあるんです。

立ち上げ期のベンチャーは何事も慌ただしく、オフィスではどうしても目の前の仕事に忙殺されがちです。一方で、仕事をするうえでは落ち着いて思案したり策を練る時間が必ず必要です。これは社長に限らないことだと思うのですが、私は集中して「脳みそを使う時間」の確保のため、あえて片道1時間のロマンスカー通勤を選んでいます。

このルーティン、今に始まったことではありません。起業前には約5年間香港に住んでいたのですが、毎月の東京出張で片道4時間半のフライトがありました。そこで必ず本を一冊読むようになり、これが非常に勉強となりました。忙しい時こそ良書を読み、考えを深めることが大切です。30代半ばにしてようやく気付いたわけで恥ずかしいことなのですが、この経験から、起業後もこのような時間を確保しようと決めていました。

午前6時半にロマンスカー車内で始業し、6時半に帰宅する。ファーストリテイリングの柳井さんは午前7時から働き、終業後は会食などもせず午後4~5時には家に戻られるとのこと。日本を代表する経営者と同じ目線で努力することで、少しでも近づけたらと考えています。

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