まず、略歴からお教えください。
1968年に神戸で生まれ、神戸で育ちました。1992年に関西学院大学経済学部を卒業し、大手の鉄鋼商社に就職します。父親が阪神メタリックスという特殊鋼商社の創業経営者でしたので、「いずれは承継する」ということも心のどこかで意識しての鉄鋼商社への就職だったと思います。そして4年間勤務し、大手ではなかなか自由にやれなかったことから、阪神メタリックスへの転職を決めました。 ところが、入社してみると利益が出ていない、厳しい経営状態でした。自分が立て直すしかないと、社員の誰もがやろうとしていない新規開拓を始めました。自分一人でどれだけできるかわかりませんでしたが、少しずつ実績ができていって業績は上向いていったと思います。なお、現在ではみんなが新規開拓に取り組んでくれています。私は新卒採用にも力を注ぎましたが、会社はかなり変わりましたね。
社長に就任してから、現在のDmetホールディングスのあり方や経営方針に変えたのでしょうか?
いや、社長に就任する前からDmetホールディングスにする方向性は定めていました。さらにその前、当社に入社した段階で、私は「特殊鋼の1本足で将来絶対安泰とは言えない。新規事業をやりたい」 と考えていたのです。しかし、父親が「まだ鉄だけにしておけ」と言うので、ならばそれができるようになるまで収益性を高めることに専念しておこうと考えました。 結果的に、父親のその時の判断は正しかったと思います。阪神メタリックスの収益力が上がり始めたからこそ、新規事業に思い切りチャレンジできるからです。収益の拡大再生産のサイクルができて、グループ経営を軌道に乗せることができるようになりました。
社員に、どういった存在になってほしいかとの思いをお聞かせください。
いずれはDmetホールディングスを構成するグループ企業の経営者になってほしいと思っています。できれば2~3社は経営してほしいですね。グループ経営に舵を切ったのは、会社を切り盛りしていける優秀な人材が代表者会議で方針を決めながら運営していくことが、もっとも永続力があると考えたからです。 私は、企業経営は基本的にオーナー経営者でなければうまくいかないと思っていますが、Dmetホールディングスのオーナー経営者である私は、いずれ死にます。そして、私の娘が引き継げる人材であるかどうかは現時点ではわからないですね。 ですから、優秀な社員がグループ企業の経営者になり、切磋琢磨していくしかないということです。そのために、一人ひとりの人材が最大限に力を発揮できる舞台を整えたいと思っています。自立した社員が物事を根底から考えて事業を運営する、責任者集団にしたいですね。
河合さんにとって、仕事とは?
年がら年中仕事をしているので、仕事なのか趣味なのかよくわからないですね(笑)。土日や祝日は家族と過ごしていますが、そんなオフの時間でも、頭では半分仕事のことを考えていますから。私はよく新卒採用の場などで学生さんに話すのですが、社会人にとって真剣になれる場所は仕事ぐらいしかないのでは、と思います。趣味はあくまでも趣味。自分の存在感を最大限発揮できるのは、やはり仕事を通じてではないでしょうか。
最後に、応募者へのメッセージをお願いします。
当グループには、社員が夢を実現できる可能性が高い環境があると思います。株式上場を目指している者もいるし、プロダクトの世界展開を目指している者もいます。 会社というのは、あなたの想像以上に面白いことができるステージです。実際に弊社の若手社員は、鉄鋼業という枠に全く収まらない事業にどんどんチャレンジしています。 私の仕事は、そういった社員のチャレンジの芽を見つけ、育て、芽吹かせ、見守ることです。若手のうちから大きな裁量を持っていただいているので、失敗もあります。それでも失敗から学び、さらなる飛躍を遂げている社員がたくさんいます。あなたもぜひ、当社で夢を実現していただきたいと願っています。